カ字が、灯《ひ》の滝のように火事のように、或いは稲妻のように狂乱し出すのを合図に、星は負けずにちかちか[#「ちかちか」に傍点]してタキシが絶叫し、路《みち》ゆく女の歩調は期せずして舞踏のステップに溶けあい、お洒落《しゃれ》の片眼鏡に三鞭《シャンパン》の泡が撥《は》ね、歩道のなかばまで競《せ》り出した料理店の椅子に各国人種の口が動き、金紋つきの自動車が停まると制服が扉《ドア》を開け、そこからTAXIDOが夜会服《デコルテ》を助け下ろし、アパルトマンへ急ぐ勤人《つとめにん》の群が夕刊の売台《キオスク》をかこみ、ある人には一日が終り、ほかの人には一日がはじまったところ――巴里《パリー》に、この話に、夜が来た。
4
二十五、六の、どっちかと言うと大柄な、素晴らしい美人であった。
ここはどうあっても素晴らしい美人でないと埒《らち》が開かないところだし、また事実素晴らしい美人だったんだから、私といえども事実を曲げることは出来ないわけだが――で、その二十五、六の、どっちかというと大柄な素ばらしい美人が――。
とにかく、最初からはじめよう。
巴里浅草《モンマルトル》のレストラン千客万来の「モナコの岸」は誰でも知ってるとおり昔から美人女給の大軍を擁し、それで客を惹いてるんで有名だが、この「モナコの岸」の浜の真砂ほど美人女給のなかでも、美人中の美人として令名一世を圧し、言い寄る男は土耳古《トルコ》の伯爵・セルビヤの王子・諾威《ノウルエー》の富豪・波蘭土《ポーランド》の音楽家・ぶらじる珈琲《コーヒー》王の長男・タヒチの酋長・あめりかの新聞記者・英吉利《イギリス》の外交官――若い何なに卿――日本の画家なんかといったふうに、なに、まさかそれほどでもあるまいが、まあ、すべての地廻りを片端《かたっぱし》から悩殺し、やきもきさせ、自殺させ蘇生させ日参させ――その顔は何度となく三文雑誌の表紙と口絵と広告に使われ、ハリウッドの映画会社とジグフィイルド女道楽《ファリイス》とから同時に莫大な口《オファ》が掛って来たため、目下この新大陸の新興二大企業間に危機的|軋轢《あつれき》が発生して風雲楽観をゆるさないものがある――なあんかと、いや、つまりそれほど一大騒動の原因になっているくらいの「巷のクレオパトラ」、「モンマルトルのヴィナス」、「モナコの岸」の金剛石とでも謂《いい》つべきのが、今いったこの「二十五、六の、どっちかと言えば大柄な素晴らしい美人」なんだから、たといどんなに素晴らしい美人だと力説したところで一こう不思議はないわけで、どうだい、驚いたろう。
名もわかっている。マアセルというのだ。
そしてこのマアセルは、怒涛のように日夜「モナコの岸」へ押し寄せてくる常連の誰かれにとって、すこしでも彼女の内生活への覗見《ピイプ》を持つことは、そのためには即死をも厭《いと》わない聖なる神秘であった。とだけ言っておいて、先へ進む。
ところで、二十五、六の豊満な金髪美人マアセルだが――。
も一度、最初からはじめよう。
誰も居ない真っ暗な部屋だった。しばらくするとがちゃがちゃ[#「がちゃがちゃ」に傍点]と鍵の音がして、戸があいた。廊下の光りが流れ込んだ。それと一しょに人影が這入って来た。人影は女だった。女は、手さぐりに壁のスイッチを捻《ひね》った。ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と明るい電灯の洪水が部屋を占めて、桃色に黒の点々のある壁紙が一時に浮き立った。部屋はマアセルの寝室だった。女はマアセルだった。
マアセルは今日夕方の番《シフト》だったので、いま「モナコの岸」から、近処に貸《か》りてる自分の部屋へ帰って来たところである。
あたふた[#「あたふた」に傍点]と自室へはいってきたマアセルは、うしろの戸をばたんと閉めて鍵をかけると、これで完全に自分ひとりになった安心のため、急に仕事の疲れが出て来たようにすこしぐったり[#「ぐったり」に傍点]となった。そして、第一に靴を取ると、緩慢な動作で部屋を突っ切って、衣裳戸棚の大鏡のまえに立った。天鵞絨《びろうど》に毛皮の附いた外套の下から、肉色の靴下に包まれた脚が長く伸びている。マアセルは鏡へ顔を近づけたり、離したり、曲げてみたり横から見たりした。やがてようよう満足したように手早く帽子を脱《と》って帽子を眺めた。その帽子を大事そうに向うの卓子《テーブル》の上へ置いて、ちょっと栗色の断髪へ手をやると、そのまま崩れるように椅子へかけて「あああ!」と小さな欠伸《あくび》をした。
そうしてじっ[#「じっ」に傍点]と何か考えてる様子だったが、そのうちに独り言のようなことをいいながら、立ち上って外套を脱いだ。それを乱暴に寝台へ投げかけた。それから直ぐに着物《フロック》をぬいだ。ぱちんぱちんとホックの外《はず》れる音がすると、着
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