フ間も私と親分は「故国にほん[#「にほん」に傍点]のこと」、私の「今後の身の振り方」等々々につき非常にしんみり[#「しんみり」に傍点]と語らいをかわしているのだ。
『この頃の若い人は意気地がねえな。仕様がねえじゃねえか。石炭船ぐれえ辛棒が出来なくちゃあ――。』
『どうも済みません。』
『ははははは。済みませんじゃないぜ。が、まあ、若いうちは何をしてもいいさ。困ってるならうちへ来なさい。何とかするし、用もないことはないから――。』
 愉快になったアンリの親分は、心から「この頃の若い人」を持てあましてるように、舌打ちのかわりにぐい[#「ぐい」に傍点]と私のMEDOC――ボルドオ赤《ルウジ》――をあおりつけてぺっ[#「ぺっ」に傍点]と唾をした。
 そうすると、巴里《パリー》の午前二時はほかの町の午後二時だ。LA・TOTOの暗い電灯に仏蘭西《フランス》語の発音とベネデクティンの香《におい》が絡み、「|工業の騎士《ナイツ・オヴ・インダストリイ》」の労働者たちの赭《あか》ら顔を Gauloises の煙りがぼやかし、誰かの吹く普仏戦争当時の軍歌の口笛に客の足踏みが一せいに揃い、戸外《そと》には、ちかちかする星とタキシの呶号《どごう》と、通行の女と女の脚と、脚の曲線とその媚態と――AH! OUI! 深夜の「巴里」はいま聖ミシェルの鋪道に流れている。

     2

 巴里《パリー》!
 ちら[#「ちら」に傍点]と大腿《ふともも》を見せて片眼をつぶっている巴里!
[#ここから2字下げ]
Ah, qu'il est beau, mon village,
Mon Paris, mon Paris !
[#ここで字下げ終わり]
 しぶ皮の剥《は》げた巴里《パリー》の女がこう唄う。人を呼ぶ「巴里の声」だ。
 これに魅《ばか》されて、一つ出かけて行って巴里と世間話でもしてくるかな――ロメオ&ジュリエット――というわけで、世界中の「幻影を追う人々のむれ」が入りかわり立ち代り巴里をさして殺到してくる。
 EH・BIEN!
 四六時中談笑している淫教のメッカ。
 限りない狂想と快楽《けらく》の猟場。
 夜とともに眼ざめる万灯の巷。
 眠らずに夢みる近代高速度の妄夢。
 弗《ドル》と磅《ポンド》と円と馬哥《まるく》と常識と徳律を棄てるための美しい古沼。
 曰く。あらゆる不可能を現実化して見せる地上の
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