に醜い大街《ブルヴァル》セバストポウル――巴里人の通語《リンゴ》では略して「セバスト」、憲兵《ミュニシパル》が一般にシパル[#「シパル」に傍点]であるように――は、デュウマの世界が今をそのままに生きている巴里諸相の代表的なひとつだ。そこには、聖《サン》マリ・聖《サン》ユスタスの両会堂に近く、あまりに古い名の町々が残っていて、その横町と門内の中庭《コウト》、よごれて傾いた家と、痩《や》せて歪んでいる街灯の柱、そして、酒と脂粉と自動車油《ギャソリン》のまざった、むっ[#「むっ」に傍点]と鼻を突いて甘い巴里の体臭、各民族の追放者のような群集の吐息――そのなかに蠢《うごめ》く市場の「強い男達」と彼ら相手の女のむれ、焼粟屋の火花と肥った主人と、より以上に肥満し切ったその夫人《マダム》、酒番とトラック運転手と、愛すべき「小説《フィクション》」の apache と彼の gon−zesse。
 いまこの町は、笑い声と色眼と秘密と幽暗で一杯だ。
 ヴァイオリンを弾く妖精・モリエレルの下男・キャロウの乞食・女装に厚化粧した変態の美青年・椅子直しの角《つの》らっぱ・鳥の餌《えさ》売りの十八世紀の叫び・こうる天ずぼんの夜業工夫・腹巻《ベルト》に剃刀を忍ばせている不良少年《アパッシェ》・安物の絹のまとまったコティ製の女――これらがみんな露路と入口と鋪道をふさいで、ざわ[#「ざわ」に傍点]めき、饒舌《しゃべ》り、罵《ののし》りあい、大げさな表情と三角の髯《ひげ》がフェルトの上履きのままおもてを歩き、灯《ひ》の明るい酒場《バー》から呶鳴るバリトンが洩れ、それに縋《すが》って|金切り声《フォルセット》のソプラノが絡み、つづいて卓子《テーブル》が倒れてグラスが砕け、一膳めし屋の玉葱汁《たまねぎじる》――定価金三十|文《スウ》也、但し紙ナプキン使用の方には二十五サンチイム余計に頂きます――に人影が揺れ――この、楽しい窮乏と色彩的な喧噪のSEBASTO街なる「おいらの巴里《パリー》」を、ぶう[#「ぶう」に傍点]と迂廻したわが妖怪自動車は、やがて、びいどろ[#「びいどろ」に傍点]のXマス緑樹《トリイ》に色電気をかけつらねて、そこへ香水を振り撒いたような、最も高価な好奇の牧場、真夜中過ぎのシャンゼリゼエを――ぶう[#「ぶう」に傍点]と第六の場処へ。
 シャンゼリゼエからちょいと横へ切れた、眼立たない裏通り、
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