てる幽鬼――これら石造の畸形児の列が、肘《ひじ》と肘をこすり、互いに眼くばせし合い、雨の日には唾をしながら、はるか下に霞む巴里を揶揄している。
 これがノウトルダムの、いや、世界に名だたる巴里の、妖怪像なんだが、より[#「より」に傍点]驚くべきことは、夜になって魔性の巴里が「べつの生」を持ち出すが早いか、これらの奇像群がのこのこ[#「のこのこ」に傍点]塔を下りて来て夜っぴて町じゅうをうろつく一事である。うそ[#「うそ」に傍点]でない証拠には、私はよく夜の巴里《パリー》で、この、現実にそして巧妙に人間化している妖怪どもに会った経験があるのだ。
 土耳古《トルコ》の伯爵になりすましてグラン・ブルヴァアルの鋪道の椅子に 〔ape'ritif〕 を啜《すす》ってるのや、セルビヤの王子に化けて歌劇のボックスに納まってるのや、諾威《ノウルエー》船の機関長として横町の闇黒で売春婦と交歩してるのや、なかには波蘭土《ポーランド》の共産党員を気取って聖ミシェルのLA・TOT0で「赤い気焔《きえん》」を上げてみたり、ぶらじるの大学生に扮して「|円い角《ラ・ロトンド》」で喧嘩してみたり、タヒチの画家と称して街上に春画を密売したり、そうかと思うと、セエヌの塵埃船を夜中にせっせ[#「せっせ」に傍点]と掃除していたり、メニルモンタンあたりの軒下にボルドオ赤《ルウジ》――一九二八年醸造――の壜《びん》を抱いてぐっすり眠っていたり、古着屋に乗り移って、車を押しながら天へ向って鋭い呼び声を投げ上げて行ったり――その他、かれらの千変万化ぶりは枚挙にいとまもないが、これらのノウトルダムの grotesques が仮りに人格化した有機物こそは、夜の巴里の忠実な市民なのだ。邪教のMECCAの狂信的な使徒達なのだ。
 げんに今も、その妖怪の一つは、日本老人アンリ・アラキという存在を藉《か》りて、こうして「生ける幽霊たち」の行列を引率している。ひょっとすると、この「脱走船員ジョウジ・タニイ」なる性格も明かに妖怪の化身かも知れない。ただ近代の百鬼夜行だから、練り歩くかわりに大型自動車をすっ[#「すっ」に傍点]飛ばしてるだけだ。N'est−ce pas ?
 夜が更けるにしたがって、巴里は一そう生き甲斐を感じてくる。
 ことにその裏まち――ノウトルダムの化物どもは巴里の裏町を熱愛する。
 例えばこの、美しく不潔で、巨大
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