ンる姿をひそめ、人はふえる一ぽう――と言ったように、はじめての人は誰でも度胆《どぎも》を抜かれる。そしてその間、幾多の悲喜劇を生じて、この結末果してどうなることか? と手に汗を振っていると、そこはよくしたもので、この人さわがせなオウドウヴルが全滅すると同時に、各人安心して騒動もしずまり、秩序は回復し、それからのちはけろり[#「けろり」に傍点]としてここに初めて他のどこの文明国とも同じ食卓の順序が運行されるのだが、これも慣れてみるとなかなか趣きのあるもので、私の思うところでは、この習慣は、海賊《ヴァイキング》時代にぶんどり品を立食《たちぐい》して大いに盗気を鼓舞した頃からの伝統に相違ない。しかし、食前にあれだけの蛮勇をふるうんだから、自然運動にもなって近代人にはことに適しているだろう。北のほうのオウドウヴルは一ばんにこのやり方だから、気取って内気に構えていたり、平和論者として冷静に客観していたりすると、これを相当さきに食べさせる気であとは比較的簡単なため、あわれ翌朝まで空腹を押さえる運命に立ちいたらなければならない。
 ただ一言、鰯に似た塩づけの魚で、ブレスリンという怪物がある。一試の価値あり。美味。その他得体の知れないものには注意を要す。モットウとして、経験ある隣人の皿を白眼《にら》んでそれにならうこと。
 で、食後。
 甲板。
 白い夜にキャンヴァス張りの寝椅子を並べて、おそくまで語る。彼女と私と、狩りに行くいぎりすの老貴族とベルゲンの女富豪と、あめりかの観光客と埃及《エジプト》人の医学生と。
 彼らの持ち寄る、世界のあらゆる隠れた隅々の物語に、星がまたたき、潮ざいが船をつつみ、時鐘が鳴りわたって、ときのうつるのを忘れる。
 翌日。
 ちょっと諾威《ノウルエー》のホルテン港へ寄る。海軍根拠地のあるところだ。飛行機がマストとすれずれに船をかすめる。ひくい丘の中腹にお菓子のような色彩的な家の散在。無線電信の棒に大きな鳥が何羽も群れとんでいる。
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ミュレル・トュルベンテ!
ミュレル・トュルベンテ!
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 声がする。はだしの子供たちが船の下の桟橋で何か呼び売りしているのだ。
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みゅれる・とゅるべんて!
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 一種の桜んぼである。ミュレルがさくらんぼなのか、それともトュルベンテがそれなのか、とにかく、
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|桜んぼ一束十銭《ミュレルトュルベンテ》!
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 というところであろう。彼らじしん、船の入港するのを山の上から見て、そこで早速そこらに成っていたのを摘《つ》んで売りに来たものに相違ない。いささかの木の実を大きな葉へのせて、昂奮に眼の色を変えながら右往左往している。
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ミュレル・トュルベンテ!
ミュウ――レル・トュルベエインテ!
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 That's that.
 フィヨルドへ這入る。木の生えた岩石の島がちらばって、ジグ・ザグの小半島が無数に突出し、端倪《たんげい》すべからざる角度に両側から迫っている。ところどころに石油のタンクが見える。低い島を浪が洗って、船は、そのあいだをかわして進む。高い寒い空、無そのもののように澄みきった大気、赤と青と黄色の別荘、モウタ・ボウトの上から手を振っていく人。すっかり秋――というよりむしろ冬のはじめのひやり[#「ひやり」に傍点]とする気候だ。
 早朝から一日いっぱいフィヨルドは舷側について走る。
 夕方ちかくオスロ。
 OSLO――もとのクリスチャニア。諾威《ノウルエー》の首府だ。タキシがないので大学通りのホテルまで古風な馬車を駆る。
 雨後。坂みち。さむぞら。
 何という北へ近い感じであろう! なんたる、生れのいい孤児のような、気品ある「もののあはれ」がこのオスロであろう!
 そこへ、夜だ。暮れるともなくぼんやりと明るい北の白夜――そうすると、街角に立つ人影も、尾を垂れて小路へ消える犬も、港の起重機のかすかなひびきも、すべてがひとつの浪漫のなかに解けこんで、人はごく自然に、最も陰鬱な人生のトラジディさえ肯定出来る心状《ムウド》に落ちるのだ。
 雨後。坂みち。さむぞら。
 以下、オスロ探検記。
 一ばん先にブロガアドという場末のと[#「と」に傍点]ある横町へ行ってみる。十五世紀に出来た町と、家と、人と風俗がそのままに残っているというのだ。アケルス河の小流れを渡るとすぐのところに、珍奇な木造の小家屋が、すっかり考えこんで並んでいる狭い町がある。これだ。歩道には大きな自然石が出鱈目に敷かれて、漁村のような原始的な建物が櫛比《しっぴ》している。通りの巾は一|間《けん》もあろうか。それが、じっさい十五世紀の眼抜きの場所はこうであったに相違ないと思われるほど、クエイントな商店街の形式をそなえているんだから、十五世紀のメトロポリス! what a find ! というんで、大いに勇んだ私たちがどんどん這入りこんで行こうとすると、そばの家の軒をくぐってばかにせいの高い若者があらわれて出た。これも確かに十五世紀の人物とみえて、びっくりするような大男で、何かしきりに話しかけるんだが、十五世紀にしろ現代にしろ、諾威《ノウルエー》語は私には少しも通じない。で、ことばの判らない時の用意にもと絶えず貯蔵してある奥の手を出して、例のにやにや[#「にやにや」に傍点]をやってみたが、先方には一から反響しないどころか、しまいには自分でいらいらして来て何やら耳のそばで我鳴り立てる始末。巨人だから声も大きい。しかも、ゆっくり言えばわからないはずはないとでも思ってるらしく、一語々々はっきり句切って噛んで含めるように言うんだが、早く言ったって遅くいったって、知らない言葉は解りっこない。どうも馬鹿なやつで、世界じゅう諾威《ノウルエー》語をしゃべってると信じてるらしい。いつまで経ってもこっちがへらへら[#「へらへら」に傍点]笑ってるもんだから、十五世紀の住人はとうとう癇癪を起して一そう大声を発する。すると、海のむこうからノルマン族かゲルマン族でも攻めて来たと思ったのだろう。家という家から十五世紀の老若男女と猫と魔物が飛び出して来て、見るとそこに、一組の黄色い夫婦が不得要領ににこにこ[#「にこにこ」に傍点]しているのを発見したので、さすがに今度は十五世紀のほうがぎょっとしたらしく、一同鳴りをひそめて凝視している。よっぽど引っ返して通弁兼護衛でも雇って出直そうかと考えたが、私だって意味の判然しないことでそうやすやすと追っぱらわれるのは業腹《ごうはら》だ。第一、十五世紀の建造物なんかはざら[#「ざら」に傍点]にあるが、ひとつの町の体裁をそなえて現存しているのは珍しい。これあ何とあっても踏みこんでやろう。こう決心して、気味わるがる彼女を引っぱって突入しようとすると、眼のまえの群集がさあっと逃げて、そこへ、最初の若い巨人と、もうひとり中年の男とがひどく英雄的態度で立ちはだかった。そして、憤怒《ふんぬ》の形相《ぎょうそう》もの凄くひとりで勝手に猛《たけ》り狂っている。
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わ・わ・わ・わ・わあっ!
る・る・る――う・るう!
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 というようなことをつづけさまに喚《わめ》くのだ。のみならず、驚いたことには、一人はしきりに桃色の上着のポケットを示威的に叩いている。それも十五世紀のことだからピストルじゃあるまい。ナイフだろう。が、とにかくこれは立派な威嚇である。この聖代に容易ならない事件だ。とは言え、何だか訳のわからないこと夥《おびただ》しいが、察するところ彼らは、自分たちの町へ外来者、ことに異人種の私達なんかが見物にくるのを好まないらしい。そんならそうと早く言えばいいのに――もっとも、むこうにしてみれば散々いったんだろうが、なにもこっちだってそんなに嫌がる所へ無理に侵入しようとは言やしない。
『何だ? 君たちは一たいなにを騒いでるんだ? 帰ったらいいんだろう。帰るよ。』
 こうなると私も日本語だ。
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わ・わ・わ・わわあっ!
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 と一つ呶鳴り返しておいて、私は、出来るだけ悠然と彼女の腕をとってまた通りへ退却した。そうしたらやっぱり二十世紀の日光と安心と感謝が私によみがえった。が、覗いただけで私は満足している。十五世紀なんて、ちょっと聞くと浪漫的だが、なあに、いやに原色が好きで、気が利かなくて、不潔で不備で喧嘩《けんか》早くて、田舎者がみんなわいわい[#「わいわい」に傍点]言うばかりちっともわけの判らない、要するにおそろしく滅茶苦茶な時代だったにきまってる。私は現に見てきて、このとおりひどい目にあったんだから――。
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わ・わ・わ・わ・わあっ!
る・る・る・る・るうっ!
[#ここで字下げ終わり]
 Hush ! What a hell !
 雨後・坂みち・さむぞら。
 郊外へ出ると到るところに植民住宅《コロニイ・ハウス》というのがある。ちいさな田園に小さな家が建っていて、一季節四百クロウネで夏のあいだ労働者の避暑に貸す。そして、二十年経つと家も土地も自分のものになるという仕くみ。市の経営である。
 ホルメンコウレンの山へ行く途中に市の病院を見る。貧富にかかわらず一日二クロウネ半が、手術から医薬から看護から間代《まだい》食費まですべてをふくむ入院料だという。植民住宅といいこの病院といい、スカンジナヴィアの国々はどこへ行ってもこうした社会施設が完備して発達しているのを見る。土地の人は、だから赤化しないんだと威張っている。
 野外博物館。オスベルグの海賊船《ヴァイキング・シップ》。
 雨後・坂みち・さむぞら。
 フログネルセテレンとフォクセンコウレンの山へのぼる。郷土偉人トマス・ヘフティの公開寄附した森林公園で、ほうぼうにオスロ青年団の建てたへフティを記念する石柱がある。白樺、落葉松《フウ・ルウ》の木。桔梗《ききょう》、あざみ、しだ[#「しだ」に傍点]の類。滝、小湖、清水のながれ、岩――首に鈴をつけた牛が森の小路で人におどろいている。かみの毛の真白な子供たち。山上からフィヨルドは一眼だ。鳥瞰すると小群島と半島の複雑さ。
 カアル・ヨハンス・ガアドのつき当りに宮殿がある。そのまえの公園にイブセンの物で有名な国民劇場。両側にイブセンとビョルンソンの像。両方とも考えぶかそうに直立して、イブセンの肩に落葉が一枚引っかかっていた。
 イブセンと言えば、諾威国立博物館《ノルスク・フォルクミウザム》本館の階上で、イブセンの書斎を見た。死後そのままここに移したもので、窓かけも椅子も敷物も茶っぽい緑の一色、簡素な部屋だ。原稿もすこし保存してある。
 ウレウェルストファイエン街の墓地に、イブセンとビョルンソンのお墓詣りをする。
 広い墓地内をうろうろしてようよう探し当てたイブセンの墓は、白樺の疎林を背に生垣と鉄鎖の柵をめぐらした広さ六坪ほどの芝生の敷地に、左右の立木に挟まれて高さ三|間《げん》あまりの上の尖《とが》った黒い石が立っていた。石の表面に鉄槌《てっつい》の彫刻、根にダリヤとデエジイと薔薇と百合の花束をりぼん[#「りぼん」に傍点]でしばった鉄の鋳物、下の平石に HENRIK IBSEN と読める。右に祭壇、左に夫人の墓石――枯葉が散りかかって、ごみのような小さな羽虫《はむし》が一めんに飛んでいた。
 すこし離れた小高いところに、ビョルンソンの墓。これは巨大な平面石が、白樺の大木の下に半分|蔦《つた》におおわれて倒れている風変りなものだ。階段が上部をかこみ、石の旗が下を飾って、中央に Bjornson, 1832−1910 と彫ってある。すべてが立体的に凝った感じである。
 小さな松の林に小鳥が下りて、朝日に葵《あおい》が咲いていた。土の香と秋晴の微風。参詣の人がちらほら見えて、喪服の女が落葉を鳴らしてゆく。赤や黄の前掛に手拭《てぬぐい》のようなものをかぶった老婆達が、そこにもここにも熊手を持っ
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