」。各国文明の長所。煤煙と塵埃。
 附録の4。
 でんまあく印象。
 満足せる少数の牛と、最新式耕作機具と、健康な食慾と文芸物の家庭図書館――おもに史劇全集――とを有《も》つ、由緒ある小農の一家族。
 コペンハアゲンは、スカンジナヴィアの「奥の細道」における白河の関だ。
 女の頬の赤さと青年の眼の碧さと。

   海峡の嵐

 Helsingor は沙翁《さおう》が発音どおりに Elsinor と書いてから、この名によって多く知られているデンマアク海峡の突端《とっぱな》の町で、一脈のふるい水をへだてて瑞典《スエーデン》のホルシングボルグに対している。歩きにくい敷石の通りと、黒ずんだ昔のままの塀と、塀の根元の雑草のしげりと、何かの間違いでいまだに存在しているような家並と、それからクロンボルグの古城とを有《も》つ、伝説そのもののように絵画的な僻陬《へきすう》の小市だ。
 が、このエルシノアの町へ時代を逆に杖をひく旅人の絶えないのは、その蒼然たる古色味の空気でもなければ、クロンボルグ城の特徴ある建築でもない。ただこことシェキスピアとを結びつける因縁ばなしにすぎないんだが、エルシノアには、ハムレットのお父さんなる王様の幽霊が出たという現場と、もう一つ「ハムレットの墓」と称する珍物があるのだ。
 雨が降っていた。
 日光のなかを日光といっしょにふる小雨だ。それが歩きにくい敷石と黒ずんだ塀と、その根元の雑草を濡らすのを、いきなり飛びこんだ名だけ洒落《しゃれ》てる路傍の料理店カフェ・プロムナアドの窓からぼんやり眺めながら、のっぺりした美男給仕人の運んでくる田舎料理をつついたのち、私たちは雨のなかをバアバリイに身を固めてまずクロンボルグの城へ出かけた。
 せまい通りを幾つか曲って、やがてだんだん海へ近づいてゆくと、老樹の並木路を出はずれたところに、草と堀と橋と石垣に埋《うず》もれた古城があった。堀の水は青く淀《よど》んで、雨脚が小さな波紋をひろげていた。第一の城壁の上から高い木の枝が覗いて、そのむこうに太いずんぐり[#「ずんぐり」に傍点]した塔が水気にぼやけていた。橋には大きな釘の頭が赤く錆《さ》びて、欄干は、人間の自己保存の本能を語って訪問者の記念のナイフのあとを一ぱい見せていた。
 G・H・W――NYC・USA。
 J.S.B ―― Epping, England. June 2,1911.
 A・L――ダンジヒ独逸《ドイツ》。
 その他無数。
 橋をわたると鉄の城門だった。上に 1690 と大きく彫ってある。ちょうど守備兵の交替時間で、中庭で軍楽隊の奏楽につれて、奇妙な軍服の兵士たちが木製の機械人形のように直線的に四肢を振って動きまわっていた。それを近処の子供たちや遊覧客がかこんで見物していた。私たちが這入ってゆくと、楽隊も兵卒も一せいに顔をこっちへ向けて、珍しそうにまじまじ[#「まじまじ」に傍点]と見守っていた。
 第二の塀と橋を過ぎると、お城は屋根が綺麗だった。銅板がすっかり緑に変色して、それを日光とともに小雨が濡らしていた。
 門を出て、雨中の山坂道を右手へのぼっていくと、潮鳴りの聞える丘の上へ出た。
 旧式な大砲が幾つもいくつも並んで、草むらに砂利がまじっていた。赤煉瓦で築いて、うえに土を盛って草を生やした土手のようなものがかなり長くつづいている。ハムレットのお父さんの幽霊の出たところは、その土手が砲列へ近く切れている端の、右側の地点である。赤土に雨がしみて、泥にまみれた草の葉が倒れている。風に海の香《にお》いがする。ぱらぱら[#「ぱらぱら」に傍点]と雨滴が大きくなった。じっ[#「じっ」に傍点]と立ち停まっていると、ハムレットの暗い舞台面が眼にうかぶ。私たちはいまその現場にいるのだ。海峡の沖に団々と雲が流れて、あたまのすぐうえで風が唸っている。鳥かと思って見たら、砲台の柱に高く、雨を吸って重い丁抹《デンマアク》の国旗がはた[#「はた」に傍点]めいていた。
 ここでも、木棚の肌は遊子のナイフのあとで一ぱいだ。
 G・H・W――NYC・USA。
 J.S.B ―― Epping, England. June 2,1911.
 A・L――ダンジヒ独逸《ドイツ》。
 その他無数。
 王子ハムレットの墓は、城からすこし離れたマレニストの森のなかにある。大木の根に三角形の石をほうり出したばかりの、いかにも「ハムレットの墓」らしいあやふや[#「あやふや」に傍点]なもので、屋根みたいな三角の両面に、英吉利《イギリス》と丁抹《デンマアク》の帝室紋章がほりつけてあった。ハムレットの墓というより沙翁の記念碑と称すべきだろうが、それにしてもいささか頼朝《よりとも》公十八歳の頭蓋骨の感がないでもない。が、旅行者に批判は必要ない。すなわち低徊顧望よろしく、雨に打たれて森のなかをうろついたわけだが、何でも記録によると、一五八六年に、英吉利から渡海して来て時の丁抹王フレデリック二世の御前で芝居をした一座のなかに、ひとりの若い役者がいて、ここでかれが三百年前の古い物語を聞いて書いたのがハムレットの一篇、つまりその年少の俳優こそ沙翁だったという。いったい丁抹といぎりすは、昔からその皇族の血族関係なんかもずいぶん入りくんでいて、近い話が、前丁抹皇帝クリスチャン九世に三人の内親王があったが、この姉妹の三王女のうち、ひとりだけ生国にとどまってデンマアクのクィイン・ルイズとなり、他は後日英吉利のクィイン・アレキサンドラ、もう一人は露西亜《ロシア》のダグマア女皇陛下と呼ばれるようになった。そして、デンマアクのクィイン・ルイズもいぎりすのクィイン・アレキサンドラも既に世を去ってしまったが、ロシアのダグマア―― Empress Dagma ――のみはまだ存命している。露西亜名をマリア・フェタロヴナといって今年八十二歳。この人こそは、先年のロシヤ革命に、その頃まだエカテリンブルグといったいまのスウェルドロフスクで、共産軍の血祭りにあげられたロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ二世の生母である。
 エルシノアからの帰途、自動車は「北欧リヴィラ」の名ある坦々たる海岸の道を走るんだが、スネッケルステンからニヴァ、ラングステッドからスコッズボルグと宿場を縫ってドライブしてくると、間もなくクラッペンボルグという小さな村へさしかかる。そうしたら気をつけて、右の傾斜面に建っている一軒の灰色の住宅を見逃さないことだ。立木に取りまかれているが、そのすきまから悲しい窓が覗いて、私の通ったときはすっかりレイスのカアテンが垂れ、人の気はいもなかった。
 これがダグマア前露女皇、いまのマリア・フェタロヴナの家で、忠臣のコザックたちに守られて晩年を送っているんだが、まぎらすことの出来ない息子や孫たちの悲惨な死が老いたたましいを覆して、彼女はすこし精神に異常をきたしているという。ハムレットよりもっと深刻な人生と国家興亡の悲劇であると私は思った。
 私達は西比利亜《シベリア》をとおってスウェルドロフスクを知っている。私の紀行にはこうある。
[#ここから2字下げ]
もとのエカテリンブルグだ。ニコライ二世はじめロマノフ一家が殺された町である。宝石アレキサンドリアを売っている。皇帝の泪《なみだ》が凝り固まっているようで、淋しい石だ。ウラルの風。――と。
[#ここで字下げ終わり]
 いまこうしてクラッペンボルグのマリア・フェタロヴナの家のまえに立っていると、「運命の老女」が朝夕あそこの窓から見るであろう浪と村と人々の生活――その小さな世の中には何の移りかわりはなくても、何かしらそこに、マリア・フェタロヴナを一生のかなしみから脱却させ、諦めさせ、慰めるものがなければならないような気がする。
 私はあたりを見まわした。
 低い押戸の門の下に、やはり雑草が雨に叩かれているだけ――海峡の風。
 邸内に咲いていた野生の花。
 きつねのちょうちん。
 たんぽぽ。
 くろうば。
 日本の春の花だ。
 買い出しにでも行ったとみえて、女中らしい若い女がひとり、大きな紙包を抱えて私の横からさっさ[#「さっさ」に傍点]と裏門のほうへ廻って行った。黒い木綿の靴にべったりはね[#「はね」に傍点]が上っていた。

   雨後・坂道・寒空

 もっと北へのぼろう――ノルウェイへ。
 そこで、薄暮。
 うら淋しいクヴァスタスブルンの波止場からS・S王《コング》ホウコン号へ乗りこむ。
 船客。
 あめりか人の漫遊客夫婦二組。遠く北の内地へ狩猟にいくという英吉利《イギリス》の老貴族とその従者。諾威《ノウルエー》へ帰る兄弟の実業家――これはエクボという不思議な名を持っている。――ふらんす語に「磨《みが》きをかける」ために巴里《パリー》へ行ってきたベルゲンの富豪のお婆さん。ブダペストから来た埃及《エジプト》人の医学生。亜米利加《アメリカ》ネブラスカ州から小さな錦を飾っていま故郷の土を踏もうとしている移民の一家族。猶太《ユダヤ》人、陸軍士官、この辺を打って廻る歌劇団、金ぴかの指輪だらけの手で安煙草をふかしつづけるその一行のプリ・マドンナ。彼女の鼻のそばかす。家畜のような北欧の男と女と子供の大軍。貧しい荷物の山。
 カデガッド海。
 たちまち、霧に濡れて食慾的に新鮮な小群島《アウチペラゴ》で私たちのまわりに。
 北へ北へと機関が唸って鴎《かもめ》が追う。これからオスロまで海上一昼夜の旅。やがて諾威《ノウルエー》クリスチャニアのフィヨルドが私たちを迎えるだろう。
 が、いまはこの白夜の暗黒を点綴して、船にちかくあるいは遠く、わだかまり、伸び上り、寝そべり、ささやき合い、忍び笑いし、争ってうしろへ流れてゆく島・島・島の連続だけだ。
 灯を吸って赤かったコペンハアゲンの空は間もなく消えた。エルシノアの砲台にぽっちり見えていた旗も、一せいに斜《ななめ》に倒れていた砂原の小松林も、段々に砕ける浪の線も、もう完全に過去へ歿した。ただ、しらじらとして残光を海ぜんたいに反映する空の下を、コング・ホウコン号の吐く煙りがながく揺曳《ようえい》して、水を裂いたあとが一本、雪道のようにはるかに光っている。
 そして、島。
 神出し、鬼没し、隠見する多島。
 食後――ついでだが、北の食事は奇抜な儀式をもって開始される。まず、何らの心的用意なしに食堂へ這入るすべての外国人を驚愕させるに足るほど、一歩踏みこむや否、中央の卓子《テーブル》の周囲に行われているひとつの不可思議な光景が眼を打つのだ。それは、ありとあらゆる、およそ人間の脳力で考え得る限りの動植物――鉱物はないようだった――の 〔hors−d'oe&uvre〕 を幾種といわずテエブルの上に開陳してあるのを、めいめい皿とフォウクを手に、眼に異常な選択意識を輝かして勝手にとってきて食べるのである。こういうと何の造作もないようだが、これが実際に当ると仲々の訓練と勇気と進取の気象を要する。何しろ、食堂じゅうの人が立ってきて、われなにを飲み――もっとも飲み物はないが――何をくらわんかと、狭い場所で堂々めぐりをはじめるんだから、何となく本能をさらけ出すようで面映《おもはゆ》くもあるし、そうかと言って、厳粛に事務的であるためにはあまりに雑沓している。ここにおいてか、いぎりすのA氏は不器用な手つきで一|片《きれ》のトマトのために大の男――しかも紳士!――が汗をかき、あめりかのB氏は瞳をひらめかしてあれかこれかと徒《いたず》らに検査して歩き、C夫人は、この衆人環視のなかでいかにして最も上品に一匹の鰯《いわし》――すでに死去して缶詰にされてるやつ[#「やつ」に傍点]――をおのが皿の上に釣りあげるべきかとひそかに苦悩し、諾威《ノウルエー》産のD氏はそれらを尻目に逸早く自己の欲するものを発見し、捕獲し、この群集に揉《も》まれもまれて一日本婦人――彼女――は食卓へ近づけずに悲鳴をあげ、それを救助すべく良人《おっと》なる日本人がフォウクを武器に持前の軍国主義《ミリタリズム》を発揮して人の足を踏み、そういううちにも青菜《レタス》は刻々に減り、腸詰は見る
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