ぎた。私たちは朝早く分水線《リッジ》を渡って、一日ボウトを漕《こ》いだ。どこへ行っても人っ子ひとり会わなかった。水は澄み切って底が見えていた。赤い水草の花が舟を撫でてかすかな音を立てた。その音にぞっ[#「ぞっ」に傍点]とさせられるほどのしずかさだった。手を出して取ろうとすると舟が傾いてどうしても届かなかった。それを無理に掴もうとすれば、ボウトは顛覆《てんぷく》したに相違ない。私は知っている。そうやって人を呑もうとするのが、湖水の精のあの花だったから――。
 私たちはいつまでもプンカハリュウを愛するだろう。二日滞在というのを五日に延ばしたのだったが、それでも、立ち去る時、彼女は耐《たま》らなく残り惜しげだった。必ずもう一度行こういつか――私と彼女のあいだの、これは固い「指切り」である。
 一たい芬蘭土《フィンランド》はほとんど外国語が通じない。ことにこう内地へ這入ると完全に絶望だ。プンカハリュウの五日間、私達も何から何まですっかり手真似で用を足した。おかげでこの「無言のエスペラント」は素晴らしい上達を見たくらいである。
 その夜の汽車の窓はいい月夜だった。
 すこしく英語を解する「村の弁
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