豆腐のらっぱを聞き、夕刊配達の鉢巻きを見、そうして日本の「たそがれ」を思ったからだ。あまりの表情のない石と鉄と機械の生活――自然はすべて西洋の世界を見すてている――なんかと、そんな述懐はあとまわしにして、そこで私は考えたのである。これはきっと日本の神様が彼女をしてかく叫ばしめ、つまり「味噌汁の香《におい》」なる一つの民族感覚を中介《ミデヤ》としていま何事か私たちに知らせようとしているのではあるまいか――。
『ことによるとその近処に日本料理の家があるぜ。』
『まさか――。』
『支那めしでもいいじゃないか。とにかく御飯が食べられるんだから――。』
というので、夫婦相携えてやたらにそこらを歩きまわっていると――またもや彼女が眼をまるくして叫んだ。
『あ! ありますよあすこに!』
見ると、なるほど広場の角に大きな看板が出ている。MIKADOとパゴダ式に縦の電気文字だ。やれ嬉しやと手に手を取って駈けつけて見ると、なあんだ! 飾り窓にやくざ[#「やくざ」に傍点]な色ちぢみのキモノが並んで、けちな東洋雑貨の店だった。みそ汁のにおいはついに彼女の錯覚だったのである。だってほんとにしたんですもの――
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