帝ニコライ二世の生母である。
 エルシノアからの帰途、自動車は「北欧リヴィラ」の名ある坦々たる海岸の道を走るんだが、スネッケルステンからニヴァ、ラングステッドからスコッズボルグと宿場を縫ってドライブしてくると、間もなくクラッペンボルグという小さな村へさしかかる。そうしたら気をつけて、右の傾斜面に建っている一軒の灰色の住宅を見逃さないことだ。立木に取りまかれているが、そのすきまから悲しい窓が覗いて、私の通ったときはすっかりレイスのカアテンが垂れ、人の気はいもなかった。
 これがダグマア前露女皇、いまのマリア・フェタロヴナの家で、忠臣のコザックたちに守られて晩年を送っているんだが、まぎらすことの出来ない息子や孫たちの悲惨な死が老いたたましいを覆して、彼女はすこし精神に異常をきたしているという。ハムレットよりもっと深刻な人生と国家興亡の悲劇であると私は思った。
 私達は西比利亜《シベリア》をとおってスウェルドロフスクを知っている。私の紀行にはこうある。
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もとのエカテリンブルグだ。ニコライ二世はじめロマノフ一家が殺された町である。宝石アレキサンドリアを売っている。皇帝の
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