雨に打たれて森のなかをうろついたわけだが、何でも記録によると、一五八六年に、英吉利から渡海して来て時の丁抹王フレデリック二世の御前で芝居をした一座のなかに、ひとりの若い役者がいて、ここでかれが三百年前の古い物語を聞いて書いたのがハムレットの一篇、つまりその年少の俳優こそ沙翁だったという。いったい丁抹といぎりすは、昔からその皇族の血族関係なんかもずいぶん入りくんでいて、近い話が、前丁抹皇帝クリスチャン九世に三人の内親王があったが、この姉妹の三王女のうち、ひとりだけ生国にとどまってデンマアクのクィイン・ルイズとなり、他は後日英吉利のクィイン・アレキサンドラ、もう一人は露西亜《ロシア》のダグマア女皇陛下と呼ばれるようになった。そして、デンマアクのクィイン・ルイズもいぎりすのクィイン・アレキサンドラも既に世を去ってしまったが、ロシアのダグマア―― Empress Dagma ――のみはまだ存命している。露西亜名をマリア・フェタロヴナといって今年八十二歳。この人こそは、先年のロシヤ革命に、その頃まだエカテリンブルグといったいまのスウェルドロフスクで、共産軍の血祭りにあげられたロマノフ王朝最後の皇
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