とつだったからだ。だから、あるいは全然旅行者向きの作りものだったかも知れない。全く、十二世紀のスペインの合唱本がこのコペンハアゲンの裏まちに、しかも安く売りに出ているということはちょっと考えられない。が、私は贋《にせ》でも構わないのだ。ただこの古い――もしくは古いように見える――書物を、こぺんはあげんへルゴランズ街《ガアド》の露路の奥のレクトル・エケクランツの家《うち》で手に入れたという場面だけが私を満足させてくれる。ほかのことはどうでもいい But still, 私としては彼の言を信じていたい。なにしろ、赤黄いろい電灯のひかりのなかで、その照明にグロテスクに隈《くま》どられた顔とともに、水腫《みずば》れのした咽喉《のど》を振り立てながら、あのレクトル・エケクランツ老爺《おやじ》が、その品物の真なることを肯定して、こうつづけさまにうなずいたのだから――。
『AH! ウィ! ウィ・ウィ・ムシュウ――。』
かれは奇怪な――たぶん十二世紀の――ふらんす語を話した。
で、この十二世紀のすぺいん語の合唱本である。その真偽は第二として、私はこれがコペンハアゲンを生きて来たという一事を知っている
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