デリイ」、他はオリムピアと呼号し、前者はいま――というのは私のいたとき――ロン・チャニイ主演「刑罰」、後者はアイリン・プリングルとチェスタア・コンクリン共演の喜活劇を上映していた。ほかのいわゆる先進国、ことに日本の私たちは、もっとシンプルな享楽を享楽し、より謙遜な歓喜を歓喜としなければならないことをこの中学生みたいに若々しい人々によって教えられたような気がした。
 ブランス公園のうらの小池に The Waiting Girl と題する少女の裸像があるが、この、どんよりした沼のまんなかに蹲《うずく》まっている田舎の処女の姿こそは、私の印象するSUOMIの全部だ。
 どこからでも見えるもの――旧ニコライ堂。
 どこにでも見かけるもの――OSAKEという広告《サイン》、と言っても、禁酒国だから酒場《バー》ではない。「オサケ」は会社のこと。
 フィンランドの産物――挽《ひ》かない材木と挽いた材木。ランニング選手、ヌルミとリトラと無数のその幼虫。
 さて、もっと、もっともっと北へ進もう――というんで、涙の出るようなさびしい、けれど充分近代的で清潔なフィンランドの汽車が、内部に私達を発見した。
 夜行。奥地の湖水地方へ――イマトラ――サヴォリナ――プンカハリュウ――ヴィプリ―― And God knows where !

   奥の細道

 イマトラの滝。
 ヴァリンコスキの急流。
 イマトラでは早取《はやとり》写真のお婆さんに一枚うつしてもらう。待ってるうちに濡れたままの写真を濡れたままの手で突き出す。どうやら見ようによっては人らしくも見えるものがふたつ浮かび出ていて、あたい金五マルカ、邦貨約二十五銭也。
 ヴォクセニスカという村へ辿りつくと、この機を逃さず珍種日本人を見学せばやとあって、黒土《くろつち》道の両側に土着の人民が堵列《とれつ》している。逸早く私たちの来ることを知って、小学校の先生が学問の一部として生徒を引率して見せにきたに相違ない。いやに子供が多い。子供というより「餓鬼」といったほうがぴったり[#「ぴったり」に傍点]する。その餓鬼の大群集がぽかんと口をあけて、探険家然と赤革の外套なんかを着用している、二人とふたりの持物に飽かず見入っている。日本でも、よほどの田舎へ異人さんが行くと今でもこうだろうが、こうして自ら異人さんの立場に身を置いてみると、これはなかなか愉快な感情である。ちょっと「街上で発見された」名優の舌打ちに似ている。迷惑は迷惑だが、底に満足された虚栄心のよろこびといったようなものを拒み得ない。じっさい餓鬼は餓鬼を誘い、弟は兄を、姉は妹を、おふくろは父《とっ》つぁんを、婆さんは爺さまを、鶏は牛を、犬は馬を、みんながみんなを呼び出して来て、隣異と讃嘆をもって遠くから研究的に見物するんだから、こっちで私たちが、ふたりで何か話して笑っても、私が煙草に火をつけても、彼女が鼻へ白粉《おしろい》を叩いても、それがそっくりそのまま、何のことはない、まるで舞台の芝居になっていて、どうも弱ってしまう。そこで照れかくしに彼女がチョコレイトを出してそばの一幼児に寄贈したんだが、そうするとわれもわれもと四方八方から手――なかにはかなり大きな手も――が突出してきて、こうなるとチョコレイトの倉庫を控えていても間に合わない。隙《すき》を見て巡航船へ避難し、ほうぼうの態《てい》でヴォクセニスカをあとにサイマ湖へ出た。
 サイマ湖!
 AH! 私は悦《よろこ》んで告白する。いまだかつてこんな線の太い、そして神そのもののように、深く黙りこくっている自然の端座に接した記憶のないことを。神代《かみよ》のような静寂が天地を占めるなかに、黒いとろり[#「とろり」に傍点]とした水が何|哩《マイル》もつづいて、島か陸地か判然《はっきり》しない岸に、すくすくと立ち並ぶ杉の巨木、もう欧羅巴《ヨーロッパ》の文明は遠く南に去って、どこを見ても家や船はおろか、人の棲息を語る何ものもないのだ。
 サイマ湖!
 南方に行われてきたこましゃくれた[#「こましゃくれた」に傍点]「文明」とその歴史に関与せず、お前は一たいいつの世からフィンランドなる深林の奥に実在していたのだ? 重油のような湖面に島と木と空の投影が小ゆるぎもしないで、鳥も鳴かず、虫も飛ばず、魚も浮かばず、およそ生を示すもの、動きをあらわすものは一つとして耳を訪れず、眼にも触れない。何という潜勢力を蔵する太古の威厳であろう! なんたる吸引的な死潮の魅魔であろう! 何かしら新しい宗教の発祥地として運命づけられていなければならないこのサイマ湖! 末梢神経的な現今の都会文化はここへ来て木《こ》っ葉《ぱ》微塵だ。この恐怖すべき湖の沈黙、戦慄せざるを得ない紀元前の威圧、鬱然として木の葉も波もそよがない凝結、これらの前に立って誰
前へ 次へ
全17ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング