。しかしその割りには暖かくて、夏のおわりがちょうど日本の四、五月だった。深夜たびたび停船して水先案内を乗せたオイホナ号は、島の多い、というより凸起《とっき》した陸地の間にわずかに船を通すに足る水の、フィンランド湾の岸にそって、午前十時ごろ、半島の町ハンゴへ寄り、それからまた原始的なアウチペラゴのなかを、午後おそくこの国最大の都会である首府へルシングフォウスへ入港した。途中あちこちの小島の岩に大きく白くHasselholmenなどと島の名が書いてあるのを見る。夏のヴィラがあって人が住んでいたのだ。
フィンランド国――芬蘭土《フィンランド》語ではスオミ、Suomi ――の首府へルシングフォウス――芬蘭土《フィンランド》語でヘルシンキ――は、密林と海にかこまれた、泣き出したいほどさびしい貧しい町だった。
一九一八年に露西亜《ロシア》から独立したばかりで、そのとき四箇月間「人民の家」と称する共産党政府に苦しめられたことを人々はまだ悪夢のように語りあい、ソヴィエットの風が北部西欧へ侵入してこようとするをここで食いとめる防壁《ブルワアク》をもってみんな自任している。そのためと明かに公言して、国民軍の制度が不必要と思われるほど異常に発達し、四箇月の軍事教育ののちに属する国民軍なる大きな団体が、政治的にも社会的にも力を持っている。これに対立して露系共産党の策謀あり、この北陬《ほくすう》の小国にもそれぞれの問題と事件と悩みがあるのだ。何だか「国家」の真似事をしてるようで妙に可愛く微笑みたくなるが、しかし、同時にその素朴さ、真摯《しんし》な人心、進歩的な態度――約束されている、フィンランドの将来には何かしら健全で清新なものが――気がする。
が、世界で一ばん古い独立国からの旅人の眼に、この世界で一番あたらしい独立国は、ただ雪解けの荒野を当てもなくさまようようにへんに儚《はか》なく映ったのは仕方ないのだろう。歴史的、そして地理的関係上、瑞典《スエーデン》の影響をいたるところに見受けるのはいうまでもない。国語もふたつ使われて、上流と知識階級はスウェイデン語を話し、他はフィニッシである。だから町の名なんかすべて二つの言葉で書いてある。語尾に街《ガタン》とついているのが瑞典《スエーデン》語、おなじく何なに街《カツ》とあるのが、芬蘭土《フィンランド》語で、地図も看板もそのとおりだから、旅行者はすくなからず魔誤々々《まごまご》してしまう。
ホテルでは、日本人の夫婦が舞いこんで来たというんで大さわぎだ。それには及ばないというのに、番頭が大得意で町の案内に立つ。
『これが郵便局です。どうです、素晴らしい建物でしょう? それからこれが停車場、あれがグロウハラアの要塞――。』
一々感心したような顔をせざるを得ない。人には社交性というものがあるし、それにこの単純なフィンランド人を失望させたくないから――そこで、ありきたりの建物にも最大の讃辞を呈し、寒々しい大統領官邸にも最上級の驚嘆を示し――番頭は上機嫌で商売なんかそっち[#「そっち」に傍点]のけだ。
エイラの島の絶景に大いに感心し、つぎに船着場の花と箒《ほうき》の市場にまた大いに感心し、それから「異国者《フォリソン》の島」の博物園では十六世紀のお寺と、お寺の日時計・砂時計・礼拝中に居眠りするやつを小突くための棒・男たちの wicked eye から完全に保護されている女だけの席・地獄の絵・審判の日の作り物・うその告白をした女を罰する足枷《あしかせ》――それらにまんべんなく感心してしまうと、もうありませんな、と番頭のほうが困っている。可哀そうで、まあ君、これだけ見せてもらえばたくさんです。そう悲観したもうな、と慰めたくなる。
その他、ついでに感心すべきものを附記すると、S・Sデゴロという船で一夕の島めぐり。夕陽をとかす水、島、岩、松、白樺、子供、葦《あし》を渡る風、小桟橋、「郊外の住宅へ帰る」ようにデゴロビビウだのヴォドだのイグロなんかという恐ろしげな名の島へ上陸して行くヘルシンキの勤人《つとめにん》、家の窓からそれを見て小径《こみち》を駈けてくる若い細君、船員が岸の箱へ押し込んで廻る夕刊と郵便物、今朝《けさ》頼んでおいた砂糖やめりけん粉の買物を船長さんから受取るべく船を待っている主婦たち――ここにも同じょうな人間の生活が営まれていることをいまさらのようにしみじみと思わせられる。
それから、こんどは美術館《アテネアム》に感心しなければならない。ミレイとコロウとドガが紛れこんで来ている。
もう一つ、お土産品を売るというんで自他ともに許しているはずのミカエル街ピルチの店に、売子と埃と好意と空気の他何ひとつ商品のないのに最後に感心。
近処に常設館がふたつあって、夜になると不思議にも電灯がともる。一つを「ピカ
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