たり、そのあいだも、何にするのか女中のお仕着せみたいな染め絣が一尺二尺とよく売れて行く。
アルトベルグさんは非常な論客だ。ほとんど完全に近い知識階級の日本語でまくし立てる。
『日本はほんとにいい国です。私も度々《たびたび》行きました。また行くつもりです。しかし、もうあんまり掘出し物はありませんな、高価《たか》いばかりで。いや、たかいの何のって、とても私なんかにあ手が出ません。この写楽はいいでしょう――が、このへんになるとどうも――それから広重――と、氏は読みにくい昔の日本文字を自由に読みこなして――東海道五十三次|掛川之宿《かけがわのしゅく》。どうですこの藍の色は! 嬉しいですね。さあ、ほうら! 歌麿です。この線――憎いじゃあありませんか。ねえ、この味が判らないんだから、毛唐なんて私あんなけだもの[#「けだもの」に傍点]だって言うんです。』
とだんだん昂奮してきて、
『それあ私も西洋人ですけれど、西洋の文明はもうおしまいですね。退歩しつつあります。なっちゃいないんですからねえ。まるで泥棒ときちがいの寄合《よりあ》いだ。自制なんかということは薬にしたくてもない。一に金、二に金、三に金、が、金が何です! 金よりも心でしょう! 強いこころこそ国と人のたからです!――まあいい。こいつらがこうやって物質にばかり走って好《い》い気になってるあいだに、日本はどんどん心の修養を怠りません。そのはずです。心のないところに何があり得ましょう! じっさい私は「|東洋の心《オリエンタル・マインド》」というものを幾分か理解し、そしていつも尊敬しています。』
彼は奇妙な慷慨家《こうがいか》肌の男で、熱してくると、いつか眼にいっぱい涙を持っていた。
古いストル・トルグの広場――一五二〇年|丁抹《デンマアク》の暴王クリスチャン二世がここでスウェイデンの貴族達を虐殺したという、歴史に有名な「血の浴《ゆあ》み」のあと。株式取引所のまえだ。黒い石畳。
ここへ行ったら、ついでに近くの、ゲルマン時代からある地下室料理デン・ギュルデン・フレデン――オステルランガタン五一番――へ寄らなければならない。画家アンデルス・ゾルンが買い取ってアカデミイへ寄附したもので、場処それ自身も芸術的に面白く、おまけに料理がいい。この家を訪《と》わずにストックホルムを去るなかれ。
帝室公園の森《ハガ》の奥に「建たなかった宮殿のあと」というのがある。いわれを聞いてみると、グスタフ三世がヴェルサイユと同じプランで一七八一年から九二年まで十二年かかってやっと土台だけ出来た時に、暗殺されてしまったのだと。だから「建たなかった城のあと」で、畳々《じょうじょう》たる石垣と地下室と隧道《とんねる》が草にうずもれ、|大きな松《タアル》、|小さな松《グロウ》――青苔で足が滑る。
森《ハガ》の入口、カペテントという野外カフェへ這入る。十七世紀の近衛兵営舎。門に一|風致《ふうち》。お茶一杯一クロウネ十四オウル。
郊外ドロットニングホルムでは、「王の小劇場」だけは見なければならない。近代的なプロンプタアBOX、天使の降りる雲、その天使や悪魔の消滅する仕かけ等すっかり調《ととの》っていて、観覧席には当時のままの標字が残っている。騎士席、侍従席、侍女席。ずっと上のほうに宮廷|理髪師《フリイジア》席、宮廷靴磨き席、宮廷料理人席――何と華やかな笑い声の夜をこれらの席名が暗示することよ! 光る鎧《よろい》と粋な巻毛の鬘《かつら》と、巨大なひげ[#「ひげ」に傍点]と絹のマントと、股引《ももひ》きと道化者と先の尖った靴と!
エレン・ケイが死んでから二年になる。
二日がけで西南バトン潮に沿うヴァッドスナ町に彼女の家を訪ねた。家の名をモルバッカ“Morbacka”という。女史の遺志によって今は一種の婦人ホウムになっている。湖畔の一夜。
そうだ。
もっと――もっともっと北へのぼろう。
バルチックを横断してフィンランドへ――となって、そこで或る薄暮。
うら淋しいスケプスブロンの波止場からS・Sオイホナ号へ乗りこむ。
雨の出港。濡れる灯のストックホルム。
バルチック海。
と、たちまちまた小別荘、松、灯台を載せた小群島《アウチペラゴ》が私たちのまわりに。
船に近くあるいは遠く、蟠《わだか》まり、伸び上り、寝そべり、ささやきあい、忍び笑いし、争ってうしろへ消えていく驚くべき多島――これから芬蘭土《フィンランド》へルシングフォウスまで海上一昼夜の旅だ。やがて新興の Land of Thousands Lakes が私達のまえにほほえむだろう。
風が出た。
鉄綱《ワイヤ》のうなりが一晩耳につく。
SUOMI
フィンランド共和国は欧羅巴《ヨーロッパ》の最北端に位し、北緯六十度と七十度のあいだにある
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