ているから、何かと思ったら、正十二時に金製の小人形が四つ、流れるように順々に出てきて向側の戸へ消えるのだ。私達はわざわざ正午に出かけて行って見たんだが、その四個の時計人形は士農工商を象徴しているらしい。単なる好奇な飾りだろうけれど、それにしても、生真面目な金いろの小さな人形が四つ、ひょこひょこ出てきて引っ込むところはいかにも現代ばなれがしていて、北の水郷の大人たちのお伽噺《とぎばなし》趣味をよくあらわしていて面白いと思った。諾威《ノウルエー》から来てどことなく明るい感じのするのは、ことによるとこの人形のせいかも知れない。
 さて、ふたたび塔の上から眼を放つと、市の端《はず》れの小高い坂の角に、城塞めいた円《まる》い家が注意をひく。
 これはグルドブロロプス・ヘメットという国営のアパアトメントで、大いに曰《いわ》くがある。一九〇七年に死んだオスカア二世が、その前年の結婚五十年記念に、国民のお祝い金で建てて一般公衆へ寄附したもので、結婚五十年の歴史――再婚や三婚や四婚や五婚、以下略、はすべて資格がないんだろうと思うが――を有する老夫婦――五十年経てばたいがい老夫婦に違いあるまいが――なら誰でもはいれて、間代だけは国家もちで生活出来るのだ。つまり、よく五十年も我慢した、両方とも豪《えら》い! というんで、国家的勇士としての栄誉と待遇をあたえるわけなんだろう。これを目的にして国じゅうの「われなべにとじぶた」が鍋も蓋もじっ[#「じっ」に傍点]として、あんまり「自由」を求めたり急に「自由意識にめざめ」たりしないとすれば、人間オスカア二世は、仲なかどうして世話なおやじだったと言われなければならない。
 塔をおり、木の下路のうすやみをくぐってスカンセンを出る。ある日、ぶらぶら町を歩いている。
 と、突然歩道に立ちどまった彼女が眼を円くして言った。
『あらっ! おみおつけ[#「おみおつけ」に傍点]のにおいがする!』
 とこれはじつに容易ならぬ発表である。私は思わず急《せ》きこんだ。
『え? ほんとうかい――。』
 が、ひるがえって常識に叩くに、このストックホルム市の真ん中にぷうんとお味噌の香《におい》がするということは首肯《しゅこう》出来ない。しかし、この彼女の一言は俄《にわ》かに私たちふたりを駆って発作的ノスタルジアの底に突き落すに充分だった。それによって私は、北の都の中央にあって豆腐のらっぱを聞き、夕刊配達の鉢巻きを見、そうして日本の「たそがれ」を思ったからだ。あまりの表情のない石と鉄と機械の生活――自然はすべて西洋の世界を見すてている――なんかと、そんな述懐はあとまわしにして、そこで私は考えたのである。これはきっと日本の神様が彼女をしてかく叫ばしめ、つまり「味噌汁の香《におい》」なる一つの民族感覚を中介《ミデヤ》としていま何事か私たちに知らせようとしているのではあるまいか――。
『ことによるとその近処に日本料理の家があるぜ。』
『まさか――。』
『支那めしでもいいじゃないか。とにかく御飯が食べられるんだから――。』
 というので、夫婦相携えてやたらにそこらを歩きまわっていると――またもや彼女が眼をまるくして叫んだ。
『あ! ありますよあすこに!』
 見ると、なるほど広場の角に大きな看板が出ている。MIKADOとパゴダ式に縦の電気文字だ。やれ嬉しやと手に手を取って駈けつけて見ると、なあんだ! 飾り窓にやくざ[#「やくざ」に傍点]な色ちぢみのキモノが並んで、けちな東洋雑貨の店だった。みそ汁のにおいはついに彼女の錯覚だったのである。だってほんとにしたんですもの――と、彼女はいまだに頑張ってはいるが――。
 アルセナルスガタン通りを散歩していたら、そこの一番地に「日本美術」と日本字の看板が下っていた。これは! と思って入口を覗くと、ちゃん[#「ちゃん」に傍点]とこう御丁寧な日本語の標札まで貼ってある。
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瑞典《スエーデン》国ストックホルム市
 ヤポンスカ・マガジネット支配人
   エスキル・アルトベルグ
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 アルトベルグさんは学者肌の中老の紳士で、私達が戸を排したときは、ちょうどお客のお婆さんに日本の紡績|絣《がすり》を一尺ほど切って売っていた。店内は日本の品物をもって埋《うず》まり、蓙《ござ》・雨傘・浮世絵・屏風・茶碗・塗物・呉服・小箱・提灯《ちょうちん》・人形・骨董・帯地・着物・行李《こうり》・火鉢・煙草盆――一口に言えば何でもある。ことに鍔《つば》と「ねつけ」の所蔵は相当立派なものらしい。写楽、歌麿、広重なんかも壁にかかっている。珍客――私達――の出現にすっかりよろこんで、お客のほうは女店員に任せっきり、いろいろ江戸時代の絵を出して来たり、自分の著した“Netsuke”と題する研究的な一書を見せ
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