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 というようなことをつづけさまに喚《わめ》くのだ。のみならず、驚いたことには、一人はしきりに桃色の上着のポケットを示威的に叩いている。それも十五世紀のことだからピストルじゃあるまい。ナイフだろう。が、とにかくこれは立派な威嚇である。この聖代に容易ならない事件だ。とは言え、何だか訳のわからないこと夥《おびただ》しいが、察するところ彼らは、自分たちの町へ外来者、ことに異人種の私達なんかが見物にくるのを好まないらしい。そんならそうと早く言えばいいのに――もっとも、むこうにしてみれば散々いったんだろうが、なにもこっちだってそんなに嫌がる所へ無理に侵入しようとは言やしない。
『何だ? 君たちは一たいなにを騒いでるんだ? 帰ったらいいんだろう。帰るよ。』
 こうなると私も日本語だ。
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わ・わ・わ・わわあっ!
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 と一つ呶鳴り返しておいて、私は、出来るだけ悠然と彼女の腕をとってまた通りへ退却した。そうしたらやっぱり二十世紀の日光と安心と感謝が私によみがえった。が、覗いただけで私は満足している。十五世紀なんて、ちょっと聞くと浪漫的だが、なあに、いやに原色が好きで、気が利かなくて、不潔で不備で喧嘩《けんか》早くて、田舎者がみんなわいわい[#「わいわい」に傍点]言うばかりちっともわけの判らない、要するにおそろしく滅茶苦茶な時代だったにきまってる。私は現に見てきて、このとおりひどい目にあったんだから――。
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わ・わ・わ・わ・わあっ!
る・る・る・る・るうっ!
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 Hush ! What a hell !
 雨後・坂みち・さむぞら。
 郊外へ出ると到るところに植民住宅《コロニイ・ハウス》というのがある。ちいさな田園に小さな家が建っていて、一季節四百クロウネで夏のあいだ労働者の避暑に貸す。そして、二十年経つと家も土地も自分のものになるという仕くみ。市の経営である。
 ホルメンコウレンの山へ行く途中に市の病院を見る。貧富にかかわらず一日二クロウネ半が、手術から医薬から看護から間代《まだい》食費まですべてをふくむ入院料だという。植民住宅といいこの病院といい、スカンジナヴィアの国々はどこへ行ってもこうした社会施設が完備して発達しているのを見る。土地の人は、だから赤化しないんだと威張っている。
 野外博物館。オスベルグの海賊船《ヴァイキング・シップ》。
 雨後・坂みち・さむぞら。
 フログネルセテレンとフォクセンコウレンの山へのぼる。郷土偉人トマス・ヘフティの公開寄附した森林公園で、ほうぼうにオスロ青年団の建てたへフティを記念する石柱がある。白樺、落葉松《フウ・ルウ》の木。桔梗《ききょう》、あざみ、しだ[#「しだ」に傍点]の類。滝、小湖、清水のながれ、岩――首に鈴をつけた牛が森の小路で人におどろいている。かみの毛の真白な子供たち。山上からフィヨルドは一眼だ。鳥瞰すると小群島と半島の複雑さ。
 カアル・ヨハンス・ガアドのつき当りに宮殿がある。そのまえの公園にイブセンの物で有名な国民劇場。両側にイブセンとビョルンソンの像。両方とも考えぶかそうに直立して、イブセンの肩に落葉が一枚引っかかっていた。
 イブセンと言えば、諾威国立博物館《ノルスク・フォルクミウザム》本館の階上で、イブセンの書斎を見た。死後そのままここに移したもので、窓かけも椅子も敷物も茶っぽい緑の一色、簡素な部屋だ。原稿もすこし保存してある。
 ウレウェルストファイエン街の墓地に、イブセンとビョルンソンのお墓詣りをする。
 広い墓地内をうろうろしてようよう探し当てたイブセンの墓は、白樺の疎林を背に生垣と鉄鎖の柵をめぐらした広さ六坪ほどの芝生の敷地に、左右の立木に挟まれて高さ三|間《げん》あまりの上の尖《とが》った黒い石が立っていた。石の表面に鉄槌《てっつい》の彫刻、根にダリヤとデエジイと薔薇と百合の花束をりぼん[#「りぼん」に傍点]でしばった鉄の鋳物、下の平石に HENRIK IBSEN と読める。右に祭壇、左に夫人の墓石――枯葉が散りかかって、ごみのような小さな羽虫《はむし》が一めんに飛んでいた。
 すこし離れた小高いところに、ビョルンソンの墓。これは巨大な平面石が、白樺の大木の下に半分|蔦《つた》におおわれて倒れている風変りなものだ。階段が上部をかこみ、石の旗が下を飾って、中央に Bjornson, 1832−1910 と彫ってある。すべてが立体的に凝った感じである。
 小さな松の林に小鳥が下りて、朝日に葵《あおい》が咲いていた。土の香と秋晴の微風。参詣の人がちらほら見えて、喪服の女が落葉を鳴らしてゆく。赤や黄の前掛に手拭《てぬぐい》のようなものをかぶった老婆達が、そこにもここにも熊手を持っ
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