ゥ、とにかく、
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|桜んぼ一束十銭《ミュレルトュルベンテ》!
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というところであろう。彼らじしん、船の入港するのを山の上から見て、そこで早速そこらに成っていたのを摘《つ》んで売りに来たものに相違ない。いささかの木の実を大きな葉へのせて、昂奮に眼の色を変えながら右往左往している。
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ミュレル・トュルベンテ!
ミュウ――レル・トュルベエインテ!
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That's that.
フィヨルドへ這入る。木の生えた岩石の島がちらばって、ジグ・ザグの小半島が無数に突出し、端倪《たんげい》すべからざる角度に両側から迫っている。ところどころに石油のタンクが見える。低い島を浪が洗って、船は、そのあいだをかわして進む。高い寒い空、無そのもののように澄みきった大気、赤と青と黄色の別荘、モウタ・ボウトの上から手を振っていく人。すっかり秋――というよりむしろ冬のはじめのひやり[#「ひやり」に傍点]とする気候だ。
早朝から一日いっぱいフィヨルドは舷側について走る。
夕方ちかくオスロ。
OSLO――もとのクリスチャニア。諾威《ノウルエー》の首府だ。タキシがないので大学通りのホテルまで古風な馬車を駆る。
雨後。坂みち。さむぞら。
何という北へ近い感じであろう! なんたる、生れのいい孤児のような、気品ある「もののあはれ」がこのオスロであろう!
そこへ、夜だ。暮れるともなくぼんやりと明るい北の白夜――そうすると、街角に立つ人影も、尾を垂れて小路へ消える犬も、港の起重機のかすかなひびきも、すべてがひとつの浪漫のなかに解けこんで、人はごく自然に、最も陰鬱な人生のトラジディさえ肯定出来る心状《ムウド》に落ちるのだ。
雨後。坂みち。さむぞら。
以下、オスロ探検記。
一ばん先にブロガアドという場末のと[#「と」に傍点]ある横町へ行ってみる。十五世紀に出来た町と、家と、人と風俗がそのままに残っているというのだ。アケルス河の小流れを渡るとすぐのところに、珍奇な木造の小家屋が、すっかり考えこんで並んでいる狭い町がある。これだ。歩道には大きな自然石が出鱈目に敷かれて、漁村のような原始的な建物が櫛比《しっぴ》している。通りの巾は一|間《けん》もあろうか。それが、じっさい十五世紀の眼抜きの場所はこうであったに相違ないと思われるほど、クエイントな商店街の形式をそなえているんだから、十五世紀のメトロポリス! what a find ! というんで、大いに勇んだ私たちがどんどん這入りこんで行こうとすると、そばの家の軒をくぐってばかにせいの高い若者があらわれて出た。これも確かに十五世紀の人物とみえて、びっくりするような大男で、何かしきりに話しかけるんだが、十五世紀にしろ現代にしろ、諾威《ノウルエー》語は私には少しも通じない。で、ことばの判らない時の用意にもと絶えず貯蔵してある奥の手を出して、例のにやにや[#「にやにや」に傍点]をやってみたが、先方には一から反響しないどころか、しまいには自分でいらいらして来て何やら耳のそばで我鳴り立てる始末。巨人だから声も大きい。しかも、ゆっくり言えばわからないはずはないとでも思ってるらしく、一語々々はっきり句切って噛んで含めるように言うんだが、早く言ったって遅くいったって、知らない言葉は解りっこない。どうも馬鹿なやつで、世界じゅう諾威《ノウルエー》語をしゃべってると信じてるらしい。いつまで経ってもこっちがへらへら[#「へらへら」に傍点]笑ってるもんだから、十五世紀の住人はとうとう癇癪を起して一そう大声を発する。すると、海のむこうからノルマン族かゲルマン族でも攻めて来たと思ったのだろう。家という家から十五世紀の老若男女と猫と魔物が飛び出して来て、見るとそこに、一組の黄色い夫婦が不得要領ににこにこ[#「にこにこ」に傍点]しているのを発見したので、さすがに今度は十五世紀のほうがぎょっとしたらしく、一同鳴りをひそめて凝視している。よっぽど引っ返して通弁兼護衛でも雇って出直そうかと考えたが、私だって意味の判然しないことでそうやすやすと追っぱらわれるのは業腹《ごうはら》だ。第一、十五世紀の建造物なんかはざら[#「ざら」に傍点]にあるが、ひとつの町の体裁をそなえて現存しているのは珍しい。これあ何とあっても踏みこんでやろう。こう決心して、気味わるがる彼女を引っぱって突入しようとすると、眼のまえの群集がさあっと逃げて、そこへ、最初の若い巨人と、もうひとり中年の男とがひどく英雄的態度で立ちはだかった。そして、憤怒《ふんぬ》の形相《ぎょうそう》もの凄くひとりで勝手に猛《たけ》り狂っている。
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わ・わ・わ・わ・わあっ!
る・る・る――う・るう!
[#ここ
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