Cウェイ》じゃないか。ばかに曲りくねってるなあ。無数のぽちぽちがじっ[#「じっ」に傍点]としてる。自動車の列だ。あれでも早いつもりで走ってるんだろう。そのうえをすう[#「すう」に傍点]と飛行機の影が刷《は》いてゆく。
川がある。橋がある。人が渡ってる。
川は白い絹糸、橋は六号活字の一、人はペンさきのダットだ。すぐうえに太陽があり、まわりにうすい雲が飛び去り、下は一めんに不可思議なパノラマ――すべての王国と共和国と財宝と野心と光栄と、それらがみな私への所属をねがってひろがっている。何という地上の媚態、嬌姿! だが、現世《うつしよ》の舞台は何と悪魔の眼にあわれに貧しく映ることよ!
私たちが夢にも知らないうちに、科学はこの赫灼《かくしゃく》たる動きとパッションをこころゆくまで享楽していたのだ。銀翼号と他の飛行機たちよ! このとおり頭を下げる。おんみらこそは新世紀の芸術だ。私たちの最大の傑作――あ! 汽車だよあれは。二寸ほどの列車! おい、見ろみろ、はっはっは、何てしたり[#「したり」に傍点]顔の、こましゃくれた爬虫類だろう!
NOW OVER Dungeness.
谷・巨木・まっくろな突起。
岩・白砂・かがやくうんも[#「うんも」に傍点]。
地形に変化が多いと機は動揺する。それを逃げて一段たかく上げ舵《かじ》をとった時、私たちの下にまんまん[#「まんまん」に傍点]たる青い敷物があった。
ドウヴァ海峡だ。
AHA! 水銀の池。
乗客はみんな窓から覗いて、またへらへら[#「へらへら」に傍点]笑い出した。何となく馬鹿々々しく擽《くす》ぐったいのだ。いやにしとやかに陽に光って、さわるとぺこん[#「ぺこん」に傍点]と凹《へこ》みそうな、ふっくらとした水の肌――こいつは落ちても痛くないぞ。
しかし、何とこれは美々《びび》しく印刷された地図だろう! 日の矢と、それを反射する段々の小皺と。
海峡の色は私の食慾をそそる。
みんなと一しょに私たちも空中でランチをたべる。魔法つかいの会食。舌のサンドウィッチにトマト・桃・バナナ。彼女は水をもらう。飲みながらほほえむ。私もほほえむ。
彼女の口が大きく動いて、三つの日本発音を私に暗示する――オ・フ・ネ、と。
やあ! ほんとにオフネだ、オフネだ! 赤い立派なオフネが一そう真下の水に泳いでいる。これは汽船でもなければ、船でもない。たしかに坊やのおもちゃのオフネだ。それにしても、何てまあ横に広い坊やのオフネだろう!
ドウヴァはいそがしい。灰色の軍艦もむこうに海の陽炎《かげろう》に包まれている。
あ! なかま[#「なかま」に傍点]だ! 三台の飛行機! 二つは上に、ひとつは下に。AH! 殷賑《いんしん》をきわめる空の交通整理よ! 行ってしまった。
BUMP! 空の波だ。
一同はっ[#「はっ」に傍点]として「うう!」と唸る。
BUMP!
UUGH!
BUMP!
UUGH!
しばらくがぶり[#「がぶり」に傍点]がつづく。ボウイが紙に書いて苦悶中の女客へ見せてまわる。
Bumps will soon be less.
同じ悪魔でも、やはり女のほうはすこしデリケイトに出来てるらしい。いぎりすの奥さんなんか、けっして下を見ないように真正面に眼を据えたきりだ。お婆さんは相変らず新聞を読み、商人はしきりに書類をしらべ、私は首をのばしてふらんすの海岸線を待っている。
すると、出てきた。
くっきりとした地と水のさかい。屈折する陸の進出と、海の侵蝕。仏蘭西《フランス》の浜は赤土の露出だ。それに白い浪がよせている。
この絢爛《ゴウジャス》な感情・王者のこころ。
私の全神経がぷろぺらとともにしんしん[#「しんしん」に傍点]と喜悦の音を立てる。
百姓家。一つ光る湖、NO! 硝子《ガラス》窓だ。
NOW OVER Le Touquet.
機は早い。
もう仏蘭西語の地名。
BUMP!
UUGH!
NOW OVER Abbeville.
巴里《パリー》は近い。向うむきの雲先案内《パイロット》の首がますます太くなる。
君! もっともっとスピイドを出したまえ!
蟠踞《ばんきょ》する丘と玉突台のような牧場と。
部落。
共有地。
並木。
小市街。
無視する。
黙過する。
抹殺する。
やがて巴里――異国者の開港場。
その巴里が、2・30PMのブウルジェが、ふたたび「社会」が人性が生活が、いまぐんぐん[#「ぐんぐん」に傍点]機の下に盛れあぶってきている。
やあい! 子供が走ってるぞ! ふらんすの子供が!
踏切りに荷馬車と人が重なって、汽車の通りすぎるのを待ってらあ。
その上を機は草原の中空へ――ブウルジェ飛行場だ。
虹の橋のおわり。悪魔ももとの人間に還元しなければならない。で、お婆さんは新聞をたたみ、男はねくたい[#「ねくたい」に傍点]へ手をやり、女は一せいにバッグをあけて鼻のあたまを叩き出す。
BUMP!
BUMP!
BUMP!
なつかしい地面が見るみる眼下に迫ってきている。世の中のにおい・石ころ・土・草の葉――色のくろい操縦者の横顔が笑う。下の仏蘭西《フランス》の格納庫員へ手をあげて――。
彼女から私への最後の筆談。
『ヒコウカニナリタイ。』
都会の顔
ちょうどいつか。そしてどこかですれ違った通行人のなかに、性格的な人の顔が何ということなしに長く頭にこびりついていて、それがときどき訳もなくふっ[#「ふっ」に傍点]と思い出されるようなことがあるのとおなじに、旅にも、何ら特別の意味もないのに、どういうものかいつまでも忘れられない不思議な小都会というのがある。
それはなにも、その町の有《も》つゴセック建築の伽藍《がらん》でもなければ、おれんじ色の照明にウォルツの流れる大ホテルの舞踏場でもない。さらにベデカに特筆大書してある「最新流行」の産地たる散歩街や、歴史的由緒のふかい広場や、文豪の家や博物館では決してない。では何がそれほどその町を印象づけるか、というと、そこには分解して言えない一つの空気があるのだ。
旅の芸術《アウト》は、こっちがあくまで受動的に白紙《ブランク》のままで、つぎつぎに眼まぐるしくあらわれる未知に備えずしてそなえ、すべてをこころゆっくりと送迎してゆく手法にある。そうすると深夜に汽車のとまった山間の寒駅にも、高架線の下に一瞥した廃墟のような田舎町にも、夏ぐさにうずもれた線路の枕木の黄いろい花にも、その一つひとつに君は自分を見出すだろう。そうしてそれらに君じしんの姿を見た以上、山間の小駅も廃墟のような田舎町も、枕木の黄色い花も、しっくりと旅のこころに解けあって、いつまでも君を離れないであろう。
この、人見知りをしない Care−free さで、ぶらりと君がひとつの町へ下りたとする。
新しい不可思議な色彩が君のまえにある。
奇妙な文字の看板、安っぽい椅子の海が歩道へはみ[#「はみ」に傍点]出ているキャフェ、悲しい眼の女たち、意気な軍服と口笛の青年士官、モウニング・コウトに片眼鏡の紳士、どなるように客を呼ぶタキシ、四、五人で笑いさざめいてゆく町の娘、見なれない電車、灯《ひ》に踊る停車場まえの裸像の噴水、兵卒のような巡査、駈けよってくる花売り女――騒音は都会の挨拶《グリイテング》だ。
ちがった外見の、けれど内容のおなじ生活がここにも集合している。しみじみそういう気がする。そのせいだろう、もしそのとき君が、前に一度、夢でか現実にか、この町へ来たことがあるような気がしたら、そしてまた、家のならびや往来の走りぐあいが君の想像していたところと全く同一なら――多くの場合そうだが――君はどんなにその町を愛し、そこに狎《な》れ親しんでもさしつかえない。君はすでに町をつかんでいるからだ。
このあたらしい都会でぴたり[#「ぴたり」に傍点]とくる感じ――私はそれを町の顔と呼ぶ。
へんなことには、都会の顔は近代化した大通りや、いわゆる「|見物の場所《プレイス・オヴ・インタレスト》」にはけっして見られない。老婆と主婦と雑貨と発音が鳩といっしょに渦をまく朝の市場、しみ[#「しみ」に傍点]だらけの歪んだ壁と、小さな窓と、はだしの子供たちの狭い裏まち。それに坂だ!――私はどうしてこう坂と横町と市場が好きなんだろう?――これらに私は、じいっ[#「じいっ」に傍点]と私を見つめている「町の顔」を発見する。
こういう「町の顔」のなかで、性格的に印象を打って長くあたまにこびり[#「こびり」に傍点]ついている多くの「顔」を私は持つ――そのうちでも白耳義《ベルギー》の首府《メトロポリス》ブラッセルは、私にとって忘れられない「都会の顔」の一つだ。その、千百一の物語を蔵していそうな裏まちと、市場と、市街の坂と、私はこの欧羅巴《ヨーロッパ》の片隅に「存在をゆるされて」いるブラッセルの可憐さ――それは孤児の少女に似た――をいまだに大事にこころの底にしまいこんでいる。
ブラッセルでは、私たちはブラッセルを生きた。そのあいだ靉日《あいじつ》がつづいていた。
着いたのは夜だった。
着くのは、あたらしい町へつくのは夜に限る。昼だと、旅に疲れた君の眼に一ばんさきにうつるのは白っぽい欠点だ。そして、そこにあるのはどこも同じ実務の世界だけだ。が、それがもし夜なら、闇黒と灯《ともしび》に美化された都会が素顔を包んで君をむかえる。そして、そこにあるのは浪漫の世界だけだ。あくる朝ホテルの窓をあけてほんとの町を発見する。旅人はどうしても夜ついた都会を愛するわけだ。だから、あたらしい町へはいるのは夜にかぎる。
で、着いたのは夜だった。巴里《パリー》からブラッセルの「|南の停車場《ガル・ドュ・ミデ》」へ。
ブラッセル・すなっぷしゃっと。
セン河にまたがり「|沼の上の宮殿《ブルック・ツエル》」の転訛。
オテル・ドュ・ヴィユ――市役所。ゴセックとルイ十四世式の効果的合成。十五世紀の建築。
アンシャン美術館――ルウベンス・ルウベンス・そしてルウベンス。
|正義の殿堂《プラス・ドュ・ジュステス》――裁判所。前庭の階段にならぶ雄弁家の立像。シセロ、デモステネス、アルピアン。丘。中世紀的市街の鳥瞰。
しょうべん小僧――ここでいうマネケンである。ルウ・ドュ・レテュルとルウ・ドュ・シエンの角。ちょいとした狭い裏通りの曲りかどに、凹《へこ》んだ壁を背にして、この一尺ほどの不届きなブロンズはいつもそうそう[#「そうそう」に傍点]と水の音を立てている。はだかの子供。一ばん古いブラッセル市民。伝説に曰く。むかしベルギイがどこかの国と戦って、旗色わるく既にあやうく見えたとき、時の王様だったこの小さな子供がちょこちょこ[#「ちょこちょこ」に傍点]と第一線へ走り出てそこで敵へむかって快然と放尿した。それから勢いを盛り返して難なく勝ったその記念だとある。なるほど言いそうなことだ。が、マネケンと称するわけは、この小僧はなかなか衣裳持ちで、市に何か儀式があるごとにその場合に応じた着物をきせられる。そこで衣裳人形《マネケン》の名。日本からも陣羽織が来ている。町の非常な人気者で、四、五年まえ或る老婦人は遺産一千|法《フラン》をそっくりしょうべん小僧の維持費に寄附して死んだ。両側とも土産《みやげ》ものの店。「英語を話します」「独逸《ドイツ》語もわかります」と窓に広告してある。這入ってみる。マネケンの置物、マネケンの鈴《ベル》、マネケンの灰皿、マネケンの匙《さじ》、マネケンの Whatnot ――。
無名戦士の墓――コングレス柱《コウラム》の下。一九二二年十一月十一日以来、昼夜とろとろ[#「とろとろ」に傍点]と燃えつづけている火。脱帽。
ヴェルツ美術館――ドュ・ヴォウティア街。アントニイ・ヴェルツ――一八〇六・一八六五――の個人美術館。もと彼の住宅兼工房だった建物に、大胆・異風・写実、そしてかなりの肉感・残忍・狂的・大作のコレクシオンが出来ている。いかに大作であるかは、そのうちのあるものを描く
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