へ流れつつある。
 空の濁っているのが倫敦《ロンドン》の方角らしい。
 機首はきまった――一直線に巴里《パリー》ブウルジェへ!
 こうなると私たちには何らの恐怖も危惧もない。あるのはただこみ上げてくる愉悦と単純な驚異の連続だけだ。
 洋々たる「空の怒濤」。
 おとこの雲。
 おんなの雲。
 こどもの雲。
 みんな仲よく私たちのまわりに遊んでる。さわいでる。笑ってる。
 笑うと言えば、いままで他愛なく笑っていた機内の人々は、急にじぶん達の笑いに気がついて、その笑ったことが恥しいように、あわてて「人間界」の威儀をつくり出した。そこで狂奔する音響のなかで、私のうしろのお婆さんは毎日郵報《デエリイ・メイル》を拡げ出し、商人らしい中年の紳士は小鞄をあけて書類を読みはじめ、女学生は林檎《りんご》を剥《む》き、女の児は窓へつかまり、その母親は背後から女の児をつかまえ、もうひとりの若い男はよろけながらWCへ立ち、ボウイが飲み物を売りにくる――いかにも旅行の一頁らしい光景。
 彼女が私へノウトを渡す。筆談だ。書いてある。
『イカガ?』
 私が返事をかく。
『ヘイキ。』
 彼女がほほえむ。私もほほえむ。
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