ク。
 名物。風車、木靴、にせ[#「にせ」に傍点]ダイヤ、おらんだ人形、銀細工、ゆだや人、運河。
 アムステルダム――ことしはオリムピックという柄にもない重荷をしょって、町じゅう汗たらたらだった。おかげで私たちも暑い思いをする。
 宮殿――百貨店と間違えて靴下を買いに這入ったりしないよう注意を要す――猶太区域《ゲットウ》、レンブラントの家、コスタアのだいやもんど工場、国立美術館――レンブラントの Night Watch、エル・グレコ、ゴヤ、ルノアウル、ドラクロア、ミレイ、マネエ、モネエ、ドガ、ゴッホ、ゴウガン、ETC。
 一度停車場まえの橋下からベルグマンの水《ウォタ》タキシで市内の運河めぐりに出ること。
 フォレンダムとマルケンの島――遊覧船で一日。風と浪とに送られて――それだけ。
 ヘイグ――モウリツホイス美術館のレムブラント筆|解剖の図《アナトミカル・レッスン》、イエファンエンプウルトの牢獄、これはいま博物館になって、昔からの拷問刑罰の器具を細大洩れなく蒐《あつ》めてある。ヘイグでのA・NO・1。
 ちょっと電車でシュヘヴェニンゲンの海水浴場へ行くといい。人ごみのカシノで食事し、一ギルダ出して人混みの桟橋を歩いてしまうと、まずおらんだはこれでENDだ。
 で、END。
 和蘭《オランダ》で感心するもの、雲の変化。
 かんしん出来ないもの、人心と緑茶《グリン・ティ》――とにかく私たちはホテルでこの茶を飲まされ、ふたりとも二十四時間立てつづけに眠って、折角のゲイムを一日ミスしてしまった。察するところ蘭医の薬草だったに相違ない。眼がさめたからいいようなものの、よっぽど訴訟を起そうかと――覚めてから――思った。ここに特におらんだ[#「おらんだ」に傍点]の緑茶に対し、同胞旅客に向って一大警告を発するゆえんである。

   飛ばない鷲の巣

 せまい田舎みちの両側に木造の低い家がならんで、道には馬糞の繊維が真昼のファンタジイを踊り、二階の張出しでは若い女が揺り椅子に腰かけて編物をしていた。そして――いまどき若い女が神妙に揺り椅子に腰かけて編物をするくらいだから、その周囲の風景も押して知れよう。すなわち、化けそうな自転車があちこち入口の前に寝そべり、それを揶揄《やゆ》してひまわり[#「ひまわり」に傍点]が即興歌をうたい、何かくわえた大猫がゆっくりと街道を横ぎり、そのあとからもう一匹の大猫がゆっくりとつづき、塵埃《じんあい》の白い窓枠に干してある二足の木靴が恋をささやき、村の肉屋は豚肉のうえに居眠り、それへ村の医者が挨拶して通り、どこからか厩《うまや》のにおいとハモニカの音律が絡みあって流れ、横町にはすぐ麦畑がひらけ、退屈し切った麦に光る風がわたり、そうしてそれらのすべてのうえに夏の陽がじいっ[#「じいっ」に傍点]と照りつけたり、楡《にれ》のてっぺんにしつこい蝉《せみ》の声があったり、小犬がじぶんの尾と遊んでいたり、それを発見した二階の女が編物を中止して笑ったり、その笑いに一家|眷族《けんぞく》みな出てきて盛大に笑いこけたり、そこへ、話しに聞いたばかりで未だ実物を見たことのない日本人が、しかも夫婦で来ているとあって、唯一の旅人|御宿《おんやど》ホテル・パブストのまえに村ぜんたいが押しあいへし[#「へし」に傍点]合い、気味わるそうに凝視し批評しにやにや[#「にやにや」に傍点]し、おい、おれにもすこし見せろ、だの、やあ、何か饒舌《しゃべ》ってらあ、真黒な髪の毛だなあ、ことのと、いや、そのうるさいったら――さて、ひとりでいい気に進めてきたが、ここらでちょっとテンポをゆるめて場処の観念を明白にしておく必要があると思う。そうしないと、どこで何を騒いでるんだか一向わからないから――そこで、なにを隠そう、この僻村こそは、和蘭《オランダ》ユウトラクト在なになに郡|大字《おおあざ》何とかドュウルンの部落である。
 では、一たいどうして私たちが、この何なに郡大字なんとかのドュウルン村へこつぜん[#「こつぜん」に傍点]と姿を現わしたかというと、なにもわざわざ小犬がしっぽ[#「しっぽ」に傍点]――小犬じしんの――に戯れるのを見に来たわけではない。これには一条の立派な理由があるのだ。
 知ってる人は知ってるだろう。前|独逸《ドイツ》皇帝ウィルヘルム二世は、いまこのドュウルンの寒村で配所の Moon を見ているのだ。
 順序としてそもそも[#「そもそも」に傍点]からはじめる。
 そもそも私たちはアムステルダム市にひとりの知友をもつ。ヴァン・ポウル氏と言って船具会社の重役だが、ある日、私たちが通行人のなかから物色して、卒爾《そつじ》ながらと途《みち》を訊いたのがこの親切なヴァン・ポウル氏で、翌日氏は、どこか会社の近処の食料品店で見つけたが、これは日本人の飲料であろう
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