リ――|奥さん《マダム》、見えますか?――あれがナポレオン軍苦戦のあと。それから、むこうにぽっちり[#「ぽっちり」に傍点]窓の光っております一軒家は――。』
『ははあ、どうも大したもんだな。』
『大へんでしたろうね、ほんとに。』
 下りてみると、日向《ひなた》の自動車のなかで運転手がぐっすり居眠りしていた。とうとうこっそり[#「こっそり」に傍点]呑《や》ったとみえて、車内にぷうんと香《にお》いが漂っている。これで鶏も犬も人も轢《ひ》かずに、ソワアニュの森では大木をよけて、無事にブラッセルまで帰れるかしら?
 なあに、いくら酔ってても、じぶんの車だけは大事にするだろう。
 ウォタアルウ古戦場で、私は計らずも一句うかんだ。ものになってるかどうか、お笑いにまで――。
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夏草やつはものどもの夢のあと
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   オリンピック1928

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日光・群集・筋肉・国旗。
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 開会式。曇天。寒風。
 近代的古代|希臘《ギリシャ》之図。
 放鳩。奏楽。
 各国選手入場――ABC順。
 亜弗利加《アフリカ》。みどりの上着に白のずぼん。
 独逸《アルマニュ》。上、濃紺。下、白。
 ブルガリアは騎兵だ。
 加奈陀《カナダ》。上、白。下、赤。
 智利《チェリー》は白。
 埃及《エジプト》。赤い帽子。青いコウト。灰色のぱんつ。
 亜米利加《アメリカ》。上、青。下、白。
 旗手ワイズミュラア。
 ハイチ。黒人、一人。
 伊太利《イタリー》。こうと灰色。うすい青のずぼん。
 日本。上、青。下、白。役員はフロックコウトに赤靴だ。
 旗手|高石《たかいし》。
 墨西哥《メキシコ》。白に赤襟。
 モナコ。白衣にあかい帽子。九人。
 パナマ。ひとり。
 参加国全四十五。
 宣誓。演説。
 演説。演説。演説。
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日光・群集・筋肉・国旗。
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 百|米《メートル》。二百メートル。
 四百米。タイム五六秒五分の一、五分の三。
 ピストルとストップ・ウォッチ。
 続出する新記録。
 世界レコウド。
 また世界レコウド。
 国家として切るテイプの清新さ。
 オフィシェル・プログラマ? の叫び声。
 高飛び。槍投げ。
 予選。準決勝、そして決勝。
 メインマストの国旗。全スタンド起立。
 脱帽。国歌だ。
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ナガタニ――イ!
オダア!
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 永谷《ながたに》は254。
 織田《おだ》は257。
 沖田《おきた》。258。
 南部《なんぶ》。255。
 人見《ひとみ》。265。
 あれは誰だ?
 667――加奈陀《カナダ》のウィリアムス。
 553はあめりかのパドック。
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日光・群集・筋肉・国旗。
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 五色の輪の踊るオリンピックの旗。
 あ! あそこへ行く――。
 いま誰かと立ち話ししている超人ヌルミ。
 おなじく人間機関車のリトラ。
 ハアドル、それから走り巾とび。
 ホップ・ステップ&ジャンプ。
 257――わあっ! 日本の織田だ!
 結果、一五二一。
 セレモニ・オリンピイク!
 オダ・ヤポンの声。
 日章旗! 涙!
 君が代が和蘭《オランダ》の空へ。
 ああ、スポウツに藉《か》りて白熱する帝国主義!
 帝国主義礼讃。
 勝つことの礼讃。
 少年のような愛国心!
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日光・群集・筋肉・国旗。
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   おらんだ国巡遊手引き

 自序として、和蘭《オランダ》に関する必要な知識を、まず二、三左に列挙しよう。
 ハランド――どうも独立国らしく思われる。地理については、地理の本の和蘭《オランダ》の条参照のこと。ここではただその地形を略説せんに、概して土地、海面より低く――他の多くの国は幾らか海よりも高きを原則とす――一望さえぎるものなき平原にして、たまたま丘、もしくは山と見ゆるものあるは、怠惰なる牛の座して動かざるなり。また時に遥かに連山の巍峨《ぎが》たるに接することあれど、すべて雲の峰なれば須臾《しゅゆ》にして散逸するをつねとす。
 気候。驟雨《しゅうう》多し。青天に葉書を出しに行くにも洋傘《コウモリ》を忘るべからず。
 歴史。歴史の本に詳し。
 名所。国をあげて遊覧客のためにのみ存在す。
 国民性。偉大なる饒舌家。老若男女を問わずよく外国語――日本語以外――をあやつり、即時職業的ガイドに変ず。自己ならびに過去を語るを好み、向上心に乏しく、安逸と独逸《ドイツ》風のビールと乾酪《チーズ》をむさぼる。人を見ると名刺をつき出し、署名を求める癖あり。皮膚赤く、髪白く――小児も――顔飽くまでふくれ、温順なる家畜の相を呈し、世辞に長
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