Aよろしく召上れと名刺をつけて、給仕を私たちのホテルへつかわし、日本醤油《ヤポン・ソウヤ》――ヨコハマ太田製FUJI印し――の一瓶を贈ってくれた――何をいうにも旅中の身、はなはだ心苦しい次第だが、これはまた貰いっぱなしになっている――りなんかして、その「ソウヤ」はばかに塩辛く――というわけ。そこで話を醤油からカイゼルへ戻すと、これが縁で短期の交際を開始した私たちとヴァン・ポウル氏が、一夕ファイエンダムの大通りを散歩しながら、
 私『この田舎のドュウルンに。』
 氏『ええ。カイゼルがいますよ。ドュウルンは私の故郷で、このあいだもちょっと帰ってきました。』
 私『それあ有難い! あなたの御尽力で彼に会えないでしょうか。』
 氏『彼って、カイゼルにですか。会ってどうするんです?』
 私『どうってただあいたいんです。ぜひ一つ何とかして下さい。』
 氏『さあ、困りましたな。私もべつに識《し》っているわけではなし、公式に面会を申込んだって、勿論そりゃあ全然駄目にきまってますし――。』
 と、暫時《ざんじ》沈思黙考していた氏が、ああ! お待ちなさい、いいことがある! と傍らの珈琲《コーヒー》店の食卓ですらすら[#「すらすら」に傍点]と認《したた》めてくれた一通の紹介状、これを持っていらっしゃいという、見ると、紹介状はドュウルンなるホテル・パブストのおやじへ宛てたものだ。私がつい、こんなものでいいんですかという顔をしたら、かの親切なるヴァン・ポウル氏は、まあ試しに行って御らんなさいと葉巻のけむりのなかで笑ったのである。Well、その翌朝、善はいそげとあって、直ぐさま汽車に揺られ、荷物のごとく乗合自動車に運ばれてこうして野越え山こえ――おらんだのことだから山はないが――ドュウルン村へと辿り着いた私と彼女だ。
 猫・木靴・ひまわり、麦の農村の平和と、ホテルの主人の昼寝とを一しょに妨げてしまう。いやに太陽の近い感じのする暑さだ。
 ややあって出てきたあるじ[#「あるじ」に傍点]パブスト氏は、村びとの環視のなかで、急がずあわてずまず紹介状の封を切り、それから眼鏡を出していろいろ据《すわ》りを直し、長いことかかって一読再読し、つぎに俄《にわ》か作りの威厳をもって私たちの相貌風体を細密に検査して、のちおもむろに口を切った。
『お前さん方、ほんと[#「ほんと」に傍点]の日本人かね?』
 私があわてて、そのほんとの正真正銘の日本人なることを力説し主張すると、かれパブスト老は急に述懐的口調になって、
『しばらく日本人を見ませんでしたよ。そうさ、かれこれもう六、七年になるかなあ、夏でした。いや秋! 左様《さよう》、やはり夏だったね。年寄りの日本人の行商人がひとり絵を売りにきたね。日本の絵さ。うちへ泊ってこのさきの――。』
 どうも綿々として尽きない。仕方がないから黙って笑っていると、老人もひとりでに事務へ返って、最後にもう一度手紙を読みなおしてから、特権をもつ人の非常な重要さでつぎのように言った。
 第一に、私たちはいま一に運命の動きにかかる冒険《アドヴェンチュア》に面している事実を、はっきりと自覚しなければならないこと。なぜなら、Old Bill ――おやじはカイゼルのことをそう呼んでいた。オウルド・ビル、つまり年老いた前独帝ウィリアムだ!――にうまく会えるかどうかは、ただ運命が私達のうえに微笑《ほほえ》むか否かによってのみ決するのだから。というのは、老《オウルド》ビルはよくふらふら[#「ふらふら」に傍点]と風に吹かれてドュウルンの村をあるいている事がある。そして、おもてへ出だすと、このホテルへなぞ毎日のようにやって来て、そこの椅子に――とパブスト氏は応接間《パアラア》にある奇妙な三角形の椅子をゆびさして――半日でも腰をおろして世間ばなしをして行く。が、それは多く冬のことで、夏はあんまり外出しないようだ。それでも絶対に出てこないとは限らない。現に十日ほど前もぶらり[#「ぶらり」に傍点]と這入って来て、子供――パブスト氏には七、八つの女の児がある――の頭を撫でたり、アムステルダムの新聞を読んだりして帰って行ったから、ことによるとまた今日あたりひょうぜん[#「ひょうぜん」に傍点]と入来しないともいえない。もとより必ずくるとは断言できない。しかし、こうしているうちにも、そこらへぬうっ[#「ぬうっ」に傍点]と出現するかも知れないし、そうかといって、運がわるければ、何日待っても一歩も邸《やしき》のそとへ出ないこともあろう。だから、どうせ来たものだから、今夜はゆっくり一泊して機会の到来を祈るがいい――とこういうのだ。そして、老人はつけ足した。
『オウルド・ビリイはこの客間がばかに気に入りましてね、お屋敷のなかへこれとおんなじ部屋を一室つくらせましたよ。』
 そういって彼は
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