熬mれないけれど、それは、もちろんあちこちさがしてはいるんだが、条件がむずかしいからなかなかないのだ。そこへもって来て、いっそベントレイお婆さんが出て往《ゆ》けがしにしてくれると、日本人の性質として、たとえ当てがなくても即座に飛び出すんだけれど、出られてはまた困るものだから、お婆さんも決して積極的な態度をとらない。そこで、あと脚で砂を蹴るにしたところでそのきっかけがなくて弱っていた形だった。
 何よりもうるさくて閉口なのは、同宿の人々がどっちかと言えば無教育な連中なので、恐ろしく躾《しつけ》が悪いとみえ、その子供たちが私たちに対してじつに公々然と興味と好奇の眼を光らせ過ぎることだった。
 たとえば、私と彼女が外出しようとして廊下へあらわれたとする。すると、必ずそこに早くも一小隊の少年少女が待っていて、気味がわるいものだから常に相当の間隔をおき、いざ[#「いざ」に傍点]とあらば直ちに逃げのびられる体《たい》がまえで、世にもしつこく凝視し、観察し、研究し、批評しているのを発見するのだ。
『そらっ! また日本人が出てきたぞ!』
『女がこっちを見てるぞ。』
『何か言ってらあ!』
『おい! 笑っ
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