Bびゅうっと唸っておやじの丸帽子を叩きおとし、掛声を残して行ってしまうと、鵞鳥《がちょう》のように追っかけてようよう拾った帽子を袖で払いながら、あとからおやじが真赤になって呶鳴っているが、町の人の笑い声でそれはおやじ自身にさえ聞えない。
 単純《シンプル》で、そして楽しく華やかな過去のろんどん街上図だ。これらすべての「振り返って見る浪漫さ」は、あの、善くうつくしい時流というものの働きかける魔法かも知れないが、いま私たちが、その単純さ、その噪《さわ》がしい華やかさ、そのロンドンらしい「遵奉されたる蕪雑《ぶざつ》さ」において、この「巷の詩」のもつ調子《ニュアンス》とすこしも変らないものを見出し得る町が、こんにちの倫敦《ロンドン》にたったひとつ存在しているとしたら、それは、「すでにロンドンの失ったものをロンドンに求める」無理な旅人にとって、たしかに一つの福音であると言わなければなるまい。
 チアリング・クロスだ。
 AH! ちありんぐ・くろす!
 いったい亜米利加《アメリカ》人や英吉利《イギリス》人は倫敦を征服――完全に見物――しようとする場合、この掴まえどころのない漠たる大都会に立って、そ
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