・レインにかこまれた一廓に過ぎないが、小さな横町が無数に通っているので、生粋の倫敦人でもうっかりすると迷児《まいご》になるくらいだ。大富豪の邸宅――といったところで驚くほど小さな――に混《まじ》って、ばかに内部の暗い本屋や毛織物店が、時代と場処を間違えたように二、三軒かたまっていたりして、ここの街上で見かける紳士はどこまでもふるい英吉利《イギリス》国の紳士であり、角の太陽酒場《サン・イン》から口を拭きながら出てくる御者と執事と門番は、そのむかしワイルドのむらさきの円外套《まるがいとう》をわらった御者と執事と門番に完全に――服装以外は――おなじである。しずかに過去を歩こうと思えばこのメイフェアに限る。近代化、もしくは亜米利加《アメリカ》化しつつあるいまのロンドンに、いぎりすらしく頑固に、そして忠実に倫敦《ロンドン》を保っているのはメイフェアと霧だけだからだ。十八世紀の中頃までは、毎年|五月《メイ》にここに|お祭《フェア》があって、この名もそこから来ているのだという。なるほどメイフェアの家は一つひとつが古いエッチングのように重く錆《さ》びている。そのなかの半月街に、一つちょっと通りへ出張った窓があるが、シェレイが快活な表情と輝かしい眼とで、本を手に、朝から晩まですわっているのがおもてから見えたというのはここだ。鳥籠と餌入れと水がないだけで、まるで若い貴婦人に飼われている雲雀《ひばり》が、日光のなかで歌うために出窓へ吊るされているようだと当時近処の人が陰口をきいたほど、この半月街の窓とシェレイとは離れられないものになっている。つぎのクラアジス街三番邸には一時マコウレイが住?ナいたことがあり、三二番はよくバイロンが訪問したので有名だし、ボルトン街にはドュ・アブレイ夫人のいた家があり、そこの玄関にしばしばウォルタア・スコットの姿を見かけたそうだし、チャアルス街四二番はボウ・ブラメルの住宅だったし、ボンド街は倫敦のルウ・ドュ・ラ・ペエだし、アルブマアル五十番は、この屋根の下でバイロンとスコットがはじめて会っているし――そうしていま、そのメイフェアの西端パアク・レインに、弁天小僧の、切られ与三《よさ》の、直侍《なおざむらい》の、とにかく日本KABUKIの「たちばなや」が印度大名《マハラジャ》のごとき国際的意気をもって雄々しくも――フジヤマとサムライとゲイシャの芸術国から――乗り込
前へ
次へ
全32ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング