ぽうつ」に傍点]に装って双眼鏡をはす[#「はす」に傍点]にかけ、下宿のお婆さんナオミ・グラハム夫人を同伴し、いつも夫人の台所にうろうろしている身許不明の無職青年ブリグスを運転手に仕立て、ブリグス青年がいずくからともなく拉《らっ》し来った一九二五年型何とかいう自動車に打ち乗って、さてこのとおり、国道を流れる車輪の急湍《きゅうたん》に加わってこうしていまエプソム町近郊の競馬場へ馳せ参じたわけだが、BEHOLD!
 遠く望めば、混然湧然|轟然《ごうぜん》たる色調の撒布に、蚊ばしらみたいなひとつの大きな陽炎《かげろう》が揺れ立って、地には人馬と天幕、そらには風船と飛行機――|日々かがみ《デエリイ・ミラア》・タイムス・毎日電報《テレグラフ》・急報《エキスプレス》なんかという新聞社の所属をつばさに大書した――が日光をさえぎり、近づくにつれて自動車は野にあふれ、野は弁当《ランチ》の紙におおわれ、紙屑は人の靴に踏みにじられ、人は周囲に酔ってやたらに大声を発し、巡査と役員と貴婦人の洪水をくぐって十八、九の若い衆が何人も何人も泳ぎまわっている。番組《カアド》売りだ。
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|番組でござい《フウ・ウォンタ・カアド》
|番組の御用《レイシング・カアド・ヒヤ》!
|番組は六片《シクスペンス・アカアド》!
|番組でござい《フウ・ウォンタ・カアド》
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 人を見れば駈けより、自動車がくればぶら下りして、一せいに叱るようにわめきつづける――あい! ふ・うぉんた・かあど! しくすぺんさ・かあど! あい! ふ・うぉんた――。
 そして、そのすべての上に、ぷうんと馬の汗がにおってくるのだ。おお、DERBY!
 ま、一つ番組を買おう。
『へい! ぎみあかあど!』
 私が呶鳴《どな》る。近くにいるふうぉんた[#「ふうぉんた」に傍点]がぴたりと声を中止して一枚さし出す。読んでみる。こうだ。
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エプソム競馬 第二日
 一九二八年六月六日 水曜日
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 と莫迦《ばか》に詳しく、下に委員《スチュワアズ》としてロウズベリイ伯爵、ロンズデイル伯爵、ダルハム伯爵、表紙のうらには、厩権利者《ステイブル・ホウルダアス》ウェザビイ&息子達会社――これは英吉利《イギリス》競馬の大元締だ――だの、優劣均衡条件決定者、出発合図人、審判官、獣医――馬の――、医者――人類の――だのが一々|叮嚀《ていねい》にその住所姓名位階とともに列記してあって、それから各回の競馬に出場する光栄ある馬族の生立ち、重量、騎手、色分等々々を順序を追って個人的に――じゃない、個馬的に記述してあるんだが、いまそれに眼をとおしている暇はない。ただ番組のうらを見ると「観客諸氏にむかって一枚の番組につき公定価格の金六|片《ペンス》以上を決して支払うことのないように非常に熱心に依頼するものである」なんかんと大きな字で書いてある。六片のものを六|志《シリン》はおろか六|磅《ポンド》にも売りつけるやつがないとは限らない。忘れてはいけない。ここは詐欺と掏摸《すり》とこそ[#「こそ」に傍点]泥が組織的に横行する権利のある競馬場だからだ。私が、財布、時計、ETC――もちろん自分の――の存在を一応確認してから、つづく三人にこの忠告を与えると、彼女は写真機を下げる手に力を入れ、ナオミ・グラハム夫人はオオサカ真珠の首飾りにちょっと触ってみ、最後にブリグス青年は照れたようににやにや[#「にやにや」に傍点]した。私はそんなつもりで言ったんじゃあないが、ことによるとかれブリグスは、かねて自分の意図する活躍に対し先まわりして警告されたように感じたのかも知れない。あるいは単に、良心のほか失うべき何物を有《も》たないことを、このにやにや[#「にやにや」に傍点]によって表明した気なのだろう。どっちでもいい。
 そんなことはどっちでもいい――として、さて、ふたたび瞳をあげてエプソム草丘《ダウン》を見わたすと――。
 視線の届く限り茫漠たる芝生の起伏に、ありとあらゆる乗物と人種と高調と体臭――馬とそうして人の――と雑色と溌剌と陽光と――とにかく、自動車を構内《エンクロウジュア》へ入れようというので、警官の保護のもとに狭い入口を通ろうとしていると、耳の近くで大声がした。
 もっとも、はじめから声はいろいろしているんだが、これは、伯爵ずくめのいぎりす競馬のまんなかにめずらしくも南部あめりかの旋律を帯びていたから、とっさに私を振りかえらせるに充分だった。
 真珠王に真珠女王という、帽子から衣服ぜんたいに隙間もなく貝ぼたんを縫いつけた一組の男女が、慈善病院か何かの資金をあつめるために、バンジョウに合わせて声いっぱいに唄っている。
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河《リヴァ》のお爺さん
お爺さんの河《リヴァ》!
何もかも知っていて
だがしかし黙って
ただじっと流れてゆく
お前は河《リヴァ》のお爺さん
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 ――河《リヴァ》はあのミシシピのことだ。いま倫敦《ロンドン》のドルウリイ・レイン座は、エドナ・ファウバアの小説からとった、亜米利加《アメリカ》渡来の楽劇「芝居舟《ショウ・ボウト》」を演《だ》して大当りを取っているが、そのなかでポウル・ロウブスンという黒人のテノルが歌う「河の唄」が人気を博して、ここでこの真珠王と女王がうたっているのもその「芝居舟《ショウ・ボウト》」の一節だった。
 ま、これもどうでもいいとして――。
 自動車は五|志《シリン》かそこらでそとへ預《パアク》しておくことも出来るが、私たちは、青年ブリグスがこすく立ち廻った結果、大観覧席のすぐまえ、コウスに近いところへ割り込んで行って、車に乗ったまま見物することになった。すると、どこからともなく一人の女が切符をもって場所代を取りにくる。一|磅《ポンド》というのをこれはナオミ・グラハム夫人が十五志に値切り倒したが、これらの人は、競馬のときだけエプソム・ダウンのコウスに沿った何英町という土地《ラット》を細ぎりに借りて、当日じぶんの借地へ自動車がとまるのを待って一車一日いくらと徴収し、多くはそれで一年の生計を立てているのだ。したがってその人々は、毎年、とよりも、家によって代々世襲のわけで、ここらがはなはだ英吉利《イギリス》の、そしてダアビイらしい――なんかちょっと感心しながら、またがり[#「またがり」に傍点]にしろ、これでいぎりすへ来て土地まで借りているというので大いに意を強うし、あらためて傾斜から丘の頂上を眺めると、色と人と音の渦の中央にいるんだから、まるで曲馬団の舞輪《リング》へ抛《ほう》り出されたようで、あちこちに廻転木馬・輪投げ・動揺椅子・電気るうれっと・糸引き・人形撃ち・玉ころがしなどのゲイムの小屋が茸《きのこ》のようにすくすく[#「すくすく」に傍点]と建ってそれぞれに客をあつめ、楽隊と木笛と風船の音が世界を占め、それらに君臨して螺旋《らせん》すべりの塔が高く中空を抜いて、賭取人《ブック・メイカア》の色傘と黒板と嗄《しゃが》れ声とにきょうの日はさんさん[#「さんさん」に傍点]と降り――ジプシイの女がショウルをかけて、人波をわけている。多くは赤んぼ――ジプシイの――を抱いていて、私たちの自動車もたちまち彼らに包囲された。口々に囀《さえず》るような一本調子である。
『奥さま!』と私よりも一せいに彼女をくどきにかかる。『この児《こ》に一|片《ペンス》やっとくんなさいな。ほら! こんな可愛い児! 運がよくなりますよ! 賭けた馬が勝ちますよ! ねえ奥さま、この児に一|片《ペンス》――。』
 れんめんとして尽きない哀音だ。知らん顔をしていてやるんだが、あんまり「可愛い児」だというからつい見る気になると、私たちの鼻さきに、握拳《にぎりごし》大の、それでいて妙に年寄りじみた赤ぐろい顔が、一|打《ダース》ほどずらり[#「ずらり」に傍点]と突きつけられていた。ジプシイ――悪いことはすべて[#「すべて」に傍点]彼らの所為となっていて、またじっさいそうかも知れないが、毒々しい色布と人ずれとに身を固め、職業的勇敢さをもってどこにでも出現し、どこまでも肉迫してくる乞食民族の旅行隊――かれらの皺《しわ》の一つにも諸大陸の味がこまかく刻み込まれている。のはいいが、赤んぼのないやつは、小さな鏡のかけらみたいなものを持ってきて、あなたの未来を見ましょう! 競馬の運をみて上げましょう! なんかと、こっちが怒るまでうるさくつきまとう。うっかりしていると、そこらにある物を何でも持ってゆくんだから、ナオミ・グラハム夫人は専心この一群の追払い方を引受けた末、とうとう彼らと大喧嘩におちいり、汗をかいた。
 それはそれとして、さて馬だが――。
 このエプソム競馬の特徴は、コウスが半円をなしていることで、競馬線は出発点からゆるく彎曲《カアヴ》してタテナム角《コウナ》をまがり、大観覧席の前面で決勝する。つまり楕円的な三角形をつくっている。だから、タテナム・コウナアは馬と騎手にとって運命的な急廻転地で、ほとんどここの扱い一つで勝負がきまるといわれるくらいだ。漫然とダアビイと称するものの、ほんとのいわゆるダアビイ日《デイ》はエプソムの二日目で、しかもダアビイ競馬というのは、この日の全六回のうち第三回、午後三時に行われるたった一回の謂《いわれ》にすぎない。今年はダアビイの百四十五年めにあたり、近年になく盛大だった。ダアビイの距離は一|哩《マイル》半、三歳馬、二十三頭出場。翌日は婦人日で牝馬だけ走るんだが、ダアビイは混合だ。
 ところで、番組を白眼《にら》んで賭け馬の選択にかかろう――と言ったって、ナオミ・グラハム夫人は兄が賭人《ブッキイ》をしているのでいろいろ玄人《くろうと》の予想《テップ》が貰えるけれど、私たちは馬の名によって第六感に訴えるほか仕方がない。名前の気に入ったやつを賭けるのだ。この姓名判断もあんまり莫迦《ばか》にならない証拠には、私は、これで第一回のランモア競馬に「|王様の行列《キングス・パレイド》」というのへ――名まえがいいから――二|志《シリン》賭けたら二十対一で二|磅《ポンド》――二十円ばかり――儲け、つぎのウォリングトン競馬にもこの方法により、こんどは彼女が「雷風《サンダア・スコウル》」で約五十円勝ち、大得意でいよいよダアビイになったところが――ここで私は思い出した。
 きょうの六月六日が迫るにつれてこの二、三週間というものは、電車に乗っても料理屋《レストラン》へ行っても町を歩いても、車掌は切符をきりながら、給仕人は皿を運びながら、通行人は自動車に用心しながら、cat も spoon も、
『ダアビイには何が勝つでしょうね?』
『さあ――まずフラミンゴかキャメルフォウドでしょうな。』
『ダアビイは君、どの馬だと思う?』
『きまってらあな。キャメルフォウドかフラミンゴさ。』
『ねえ、ことしのダアビイじゃあ――。』
『あら嫌《いや》だ! もう判《わか》ってるじゃないの。フラミンゴか、さもなけりゃキャメルフォウドよ。』
 なんかという騒ぎ。これを私が不幸にも小耳にはさんでいたので、今回にかぎり大事をとって独特の馬名判断法を廃し、その素晴しい人気《フェイヴァ》の二匹の馬をふたりのあいだに分けて、私はフラミンゴをとり、彼女はキャメルフォウドへ、各二|磅《ポンド》ずつ賭けた――ところが! 馬運つたなく、両頭ともに後塵を拝して、フェルステッドという余計な馬が一着をしめてしまったから、私たちもぺちゃんこだ。これでけち[#「けち」に傍点]がついたとみえてあとの三回も負けつづけ、ひと頃は一攫《いっかく》七十金も領していたのが、あとでしらべてみると、とどのつまり三|志《シリン》ばかりの損だった。このフェルステッドなる怪馬にはみんながやられたらしく、一同かぎりなく口惜《くや》しがっていた。ただ、私の知っている範囲では、これによって一財産つくった人が世界にふたりある。ひとりは、言うまでもなく馬の所有主ユウゴウ・カンリフ・オウエン卿で、卿は、二、三日まえに田舎
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