思うと、交通機関の咆哮がしいん[#「しいん」に傍点]と遠ざかって、水蝋樹《いばた》の反映のなかを―― anyway、また雨だ。
一晩降り抜くだろう。
That Derby Day
視野のかぎり茫漠たるゆるい芝生の起伏に、ありとあらゆる類型の乗物と音律と人種と高調と、そして体臭と悍馬《かんば》と喚声と溌剌《はつらつ》とが原色の大洋のように密集して、そいつが世にも大々的《スマッシング》な上機嫌《ハイ・スピリト》のもとに一つに団結して跳躍する、動揺する、哄笑する、乱舞する――何のことはない、くりすます前の市ぜんたいの玩具屋の全商品を、一|哩《マイル》平方の玉突台のうえへぶち[#「ぶち」に傍点]まけて、電気仕掛で上下左右にゆすぶりながら、そこへ、あめりか中の女学生を雇ってきて|足踏踊り《ステップ・ダンス》をおどらせ、巴里《パリー》のキャバレ女に香水を振り撒かせ、猶太《ユダヤ》人に銀貨をかぞえさせ、支那の船員に口論させ、そばで西班牙《スペイン》人と伊太利《イタリー》人に心ゆくまで決闘をゆるすような、ひと口にいえば、なんともすさまじい享楽と騒擾《そうじょう》の一大総合場面――バグダットの朝市場ほど噪《さわ》がしく、顛狂院の宴会できちがいの大群が露西亜《ロシア》バレイを踊ってるほどにも奔流的な光景《キイド》を呈するのが、馬の謝肉祭――いぎりすの、NO! この世界のダアビイだ。
DERBY! なんとその名の伝統的で、かつ派手《ゲイ》な精神に満ちみちていることよ!
六月六日。馬が人よりも神さまよりも巾をきかすべく貴族《ロウド》たちの名において約束された日である。
道理で、この日、太陽は馬のために――特に――かがやき、青空は馬のために一そうあおく拡がり、草木は馬のために一夜にみどりを増し、風は馬のために出来るだけ軽くそよぎ、人は馬のために眼の色をかえ、女は馬のために三週間まえから着物と帽子と靴をあつらえ、自動車は馬のために咆《ほ》え、犬は馬のために尾を振り、国旗は馬のためにひらめき、奏楽は馬のために行われ、そうして馬じしんは――馬は馬らしい功名心のためにこれらのすべてへ向って高くいななく。歴史と両陛下によって十九世紀的に祝福されているのが英吉利《イギリス》の大競馬、ことにこのダアビイ――というから、そこで私たちも、これではならぬと馬のために出来るだけすぽうつ[#「すぽうつ」に傍点]に装って双眼鏡をはす[#「はす」に傍点]にかけ、下宿のお婆さんナオミ・グラハム夫人を同伴し、いつも夫人の台所にうろうろしている身許不明の無職青年ブリグスを運転手に仕立て、ブリグス青年がいずくからともなく拉《らっ》し来った一九二五年型何とかいう自動車に打ち乗って、さてこのとおり、国道を流れる車輪の急湍《きゅうたん》に加わってこうしていまエプソム町近郊の競馬場へ馳せ参じたわけだが、BEHOLD!
遠く望めば、混然湧然|轟然《ごうぜん》たる色調の撒布に、蚊ばしらみたいなひとつの大きな陽炎《かげろう》が揺れ立って、地には人馬と天幕、そらには風船と飛行機――|日々かがみ《デエリイ・ミラア》・タイムス・毎日電報《テレグラフ》・急報《エキスプレス》なんかという新聞社の所属をつばさに大書した――が日光をさえぎり、近づくにつれて自動車は野にあふれ、野は弁当《ランチ》の紙におおわれ、紙屑は人の靴に踏みにじられ、人は周囲に酔ってやたらに大声を発し、巡査と役員と貴婦人の洪水をくぐって十八、九の若い衆が何人も何人も泳ぎまわっている。番組《カアド》売りだ。
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|番組でござい《フウ・ウォンタ・カアド》
|番組の御用《レイシング・カアド・ヒヤ》!
|番組は六片《シクスペンス・アカアド》!
|番組でござい《フウ・ウォンタ・カアド》
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人を見れば駈けより、自動車がくればぶら下りして、一せいに叱るようにわめきつづける――あい! ふ・うぉんた・かあど! しくすぺんさ・かあど! あい! ふ・うぉんた――。
そして、そのすべての上に、ぷうんと馬の汗がにおってくるのだ。おお、DERBY!
ま、一つ番組を買おう。
『へい! ぎみあかあど!』
私が呶鳴《どな》る。近くにいるふうぉんた[#「ふうぉんた」に傍点]がぴたりと声を中止して一枚さし出す。読んでみる。こうだ。
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エプソム競馬 第二日
一九二八年六月六日 水曜日
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と莫迦《ばか》に詳しく、下に委員《スチュワアズ》としてロウズベリイ伯爵、ロンズデイル伯爵、ダルハム伯爵、表紙のうらには、厩権利者《ステイブル・ホウルダアス》ウェザビイ&息子達会社――これは英吉利《イギリス》競馬の大元締だ――だの、優劣均衡条件決定者、出発合図人、審判官、獣医――馬の
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