A・ウォウカア》はいぎりす産に限ると言われてるほど、いかさま堂々とした「|能なし《ノウバディ》」がお仕着せのモウニングを一着におよび、微笑の本家みたいな顔をして直立している。
そこを私が襲った。
『旅行用の衣裳かけは一たいどこに隠してあるんです?』
かれは、ここぞとばかりふだんの三倍も落着きはらって反問した。
『旅行用の――何と仰言《おっしゃ》いましたかしら? 失礼ですがあとのほうが聞きとれませんでしたので、はなはだ御面倒ながら、もしおさしつかえございませんでしたら、もう一度おうかがい致したいと考えておりますところですが。』
英吉利《イギリス》人はこういうものの言い方をする。
『旅行用のコウト掛け――まさか旅行中じゃありますまいね。』
『いえ! コウト掛けならば確かにどこかにございますから――。』
『どこに? ――その潜伏場所をはっきり――。』
『旅行品部は捜索なさいましたろうな?』
『もちろん!』
『では――と、では、衣裳掛けですからことによると衣裳掛部にございましょう。御案内いたしましょう。こちらでございます。』
というので、私はこの微笑するモウニング・コウトと伴《つ》れ立ち、ふたたびほそい通路の旅行に発足したんだが、みちみちくだんのモウニング・コウトがだんだん個人的な声を出す。
『ずいぶん長くかかりましょうな、お国からここまで。』
『イエエス。だから帰りにはどうしても衣裳掛けが要ると思って――。』
『いや、よく解《わか》ります。どうですか、コロンボのほうは? やっぱり景気がよくないですか、ここと同じに。』
『コロンボ?』
と訊きかえしながら私は気がついた。が、第一うるさいもうるさいし、せっかくこのモウニングがそう信じこんで得意になっているのだから、とっさに私は、そのままコロンボ市を「懐しい故郷」として、とにかくこの場は採用しておくことに決心した。
『あんまり面白くないです景気は。』
『ははあ、そうですかな――印度《インド》からですと、どういう路順《みちじゅん》でこちらへ――?』
『こっちから印度へ行く路のちょうど逆に当りますね。』
『ははあ――すると?』
『衣裳かけはこの売場にあるはずなんですか。』
『は。そうです。ここでございます。』
急に現職業にかえったかれは、そこの売台《カウンタア》と私の中間に正しくななめに停《た》ちどまりながら、つん[#「つん」に傍点]とモウニングの袖ぐちを引っぱって、売子の女に上官としての適度の威をしめして言った。
『この紳士へ旅行用衣裳掛けをお見せ申すように。』
で、ついに私も、こんなに骨を折らせた旅行用衣裳掛けなる怪物を現実に――OH! じつに現実に!――私のこの掌《てのひら》のうえに捕獲する機会に到達し得たのだった。これは一に私が、印度《インド》人にまで「変装」してその難捜査に従事した結果であると私はいまだに信じている。
買物で思い出したが、英吉利《イギリス》人はやたらに「Q!」という。Thank you だが、これがどうしても「キュウ!」としか聞えない。それも恐らく尻上りの「キュウ!」なんだから、はじめは誰でもちょっとびっくりさせられる。店へ這入る。すぐに番頭か女が近づいてきて、
『わたくしに出来ることがございますか――何をお眼にかけましょうか?』
なんかという。こっちの店の制度は、たいがい売子がじぶんの売上高の何割かを貰うことになっているから、みんな一|片《ペンス》でも高いものをひとつでも余計に売りつけようというので一生懸命だ。これを知らずにいぎりすの店員は親切で熱心だなどと無闇《むやみ》に感心する人がよくあるが、たちまち自分のぽけっとへ影響して来るんだから、露骨に熱心にもなろうし、売らんがためには親切であることも必要なわけだ。が、このやり方は私はあまりいいとは思わない。それはなるほど店員の刺激にはなるだろうけれど、時として店の空気を不純にし、かつ多くの場合、客に自由に店内を見てまわる気をなくさせ、監視されているような感じを起させやすい。で、いや、なに、ただ漫然と見て歩いてるに過ぎないから放っといてくれ――こう店員に言ってやるんだが、すると彼らのすべてが、ぷいとそっぽ[#「そっぽ」に傍点]を向いて「キュウ!」と楽器的な音響を発する。これも例の「|有難う《サン・キュウ》」なんだが、この場合は「ふん、お生憎《あいにく》さまでしたね!」ぐらいにしかこっちにはひびかない。その他あらゆる機会にあらゆる意味の「多謝《キュウ》」をふりまく。そして、あらゆる意味の言葉なるものは、ただちに無意味な発音として以外に存在し得ないわけだから、いぎりす人の「有難う」は要するに習慣によって機械的に出る無意味な発音に過ぎないということになる。
「|Q《キュウ》!」の用例を二、三|左《さ》に示せば
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