ニの靴を見るが早いか、彼女は「またか!」というように悲しそうな声を揚げて顔を覆った。そして、つづけさまに「何も言ってくれるな――なにもおっしゃらないで下さい!」と繰返すばかりで、私に何ら発言の機会をあたえず、私と彼女が先手を打たれてぽかん[#「ぽかん」に傍点]としているうちに、おかみさんはひとり委細承知のていで水のはいった靴を捧げ、倉皇《そうこう》として逃げるように引き取って行った。
『何だろう?』
『どうしたんでしょう? あんまり愕《おどろ》きもしないのね。』
『いや、おどろいてはいたさ。が、あれあ慣れてる驚きだった――こんなことをされちゃあこっちが困る。迷惑しごくだといったような。』
『すると、誰がしたんだか、おかみさんには判ってるわけね。』
『そうさ。だからちっとも不思議には思わないで、そのかわり、ただ平謝りにあやまって行った。本人になりかわって――というところがあったね。レムにきまってる。』
『そうよ。レムにきまってるわ。』
これで私たちとしては、おかみさんを通してレムを懲戒する目的を充分以上に達したわけだから、夕食のときも、私たちは靴については何も言わなかった。おかみさんも、気のせいか悄気《しょげ》て見えるだけで、べつにまたその問題へ触れようともしなかった。が、私たちがちょっと不審に思ったのは、うん[#「うん」に傍点]と叱られたはずのレムがいっこう平気で、相変らずナイフとフォウクをもって思うさま暴威をたくましうしていることだった。
『あれだから駄目さ。』
『なぜもっとちゃん[#「ちゃん」に傍点]と言い聞かせないんでしょう。』
部屋へ帰ってから私たちはいささか不平だった。靴は、おかみさんが乾かして綺麗にして持ってきた。で、この事件はこれなりに、いつともなく忘れてしまった。
が、四、五日たった或る日、朝から外出して帰ってみると、こんどはほかのだったが、やはり私の靴の片っぽに私たちは靴いっぱいの水を発見しなければならなかった。
しかし、その時も、私たちの怒りは、おかみさんの不得要領な哀訴嘆願で誤魔化《ごまか》されて、しまった。おかみさんは、前とおなじにやたらに手を振り頭を下げて、早速靴を掃除して返しにきただけだった。決して一言も、どうしてこの部屋の靴の一つへしきりに水がはいるのか、その点を説明しようとはしなかった。真昼、無人の室《へや》においてある靴がい
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