ツの間にか水をたたえる。その、水の満ちた靴を窓からの白い光線のなかにじいっ[#「じいっ」に傍点]と凝視《みつ》めていると、一種異様な莫迦げた、そしてグロテスクな恐怖が私に襲いかかるのを意識する。私たちは、すくなからず気味がわるくなった。
そんなことがもう一度あった。
怪異は飽くまで怪異としても、そうたびたび水漬けにされたんでは、第一靴がたまらない。それに、この神秘の底を掘り下げなければならない責任も、私は私の常識に対して感じ出した。と言ったところで、下手人はレムにきまっているんだから、そこには何らのミステリイもないようなものの、私はレムが、私の靴へ水を入れるところを押さえつけて、次第によっては一つぐらいこつん[#「こつん」に傍点]とやってやろうと決心したのである。
三度目のつぎの日から、私たちは朝、大きな音を立てて外出し、おかみさんが掃除をすますのを待って、すぐに、私だけひとりこっそり帰って寝台の下にひそんだ。そして、靴がひとりでに水を吹くかも知れない奇蹟を、根気よく待ちかまえたのだが――そう長く待つ必要はなかった。
この冒険をはじめて二日めの正午近くだった。私は、寝台の下に腹這《はらんば》いに隠れて、ただぼんやりしてるわけにも往かないから、自分のこの使命と立場をときどき思い出しながら本を読んでいるのだが、ふと室内に衣《きぬ》ずれの音がしたような気がして、頁から眼を離した。そうしてすこし首をまげると、寝台の脚をすかして向うの大鏡が見える。何気なくその鏡にうつっているものが眼にはいった私は、声を立てるところだった。
レムではない。女なのだ。
どこから来たのか、下宿のおかみさんより二つ三つ年上で、小ざっぱりしたなり[#「なり」に傍点]の、ふとった女である。そとから這入って来たものでないことだけは一目でわかった。部屋着らしいドレスに上穿《スリッパ》をはいていたからだ。それが、すぐそばで私が見てるとも知らず、じつに世にも生真面目な顔で、提げてきた水入《ジャグ》の水を非常に注意ぶかく、そこにわざと招待的にぬぎすててある私の靴のひとつへあけ出したものだ。何か荘厳な宗教上の儀礼をいとなんでいる時の高僧のような女の顔と、しずかに水を飲んでいる私の靴とを鏡のなかに見ていると、その妖異さはわけもなく私から呼吸を奪って、そうそう[#「そうそう」に傍点]たる水音が部屋を占めるな
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