、ことに一決し、こわれた皿のかけらを全部あつめて、これと寸分違わないものを拵《こしら》えるようにとはるばる日本の一名匠へ註文したのだった。と、驚いたことには、早速出来上って送ってよこした。主人公は大満悦、たいへんな期待で包みを解いてみると――出て来たのは、色から模様から「時代」まで元品《オリジナル》とすこしも変らない皿――ではあったが、見本に送ったこわれた皿と完全に同じに、それは一枚分の新しい皿の破片で、べつに手紙がついていた。
「ずいぶん骨が折れ候《そうら》えども、仕事はかなり細かきつもりに御座候《ござそうろう》。ちなみに見本の皿破片全部別送|仕候《つかまつりそうろう》あいだ、なにとぞ新品とお較《くら》べのうえ御満足をもって御嘉納下さるよう願上げ候。頓首。」
 主人は、のこりの十一枚のうえへ思いきりよく卒倒した――というのがおち[#「おち」に傍点]だが、もちろん、これは、日本人は真似が上手すぎてこんなに融通が利《き》かないということを言いたいつもりなんだろうけれど、いぎりす製の莫迦《ばか》ばなしだけあってどうも狙いが外《はず》れていてぴったり[#「ぴったり」に傍点]来ない。気の毒だが、敵ながら天晴《あっぱ》れとは言えないのだ。私から見ると、この場合、日本のその陶工のほうが一枚も二枚も役者がうえである。一境地に達している。この話をそのままに取っても、この勝負、あきらかにかれの勝ちだ。下宿の食卓で同席のいぎりす人からこの笑話を聞いたとき、私はいみじくもなせるものかなと大いにうれしく思った。が、私は黙っていた。いくら論じたって彼らには金輪際《こんりんざい》わかりっこないことを知っているからだ――私は紳士的微笑とともにしずかに麺麭《パン》をむしりながら話題を転じただけだった。
 日本と言えば――。
 たいがい英吉利《イギリス》人が――それもかなり知識階級の人でさえ――日本に関してじつに何も知らない。いや、知ろうとしない――いぎりすの可哀そうな自己満足がここにもあらわれて――事実には、じつに驚かされる場合が多い。だから私たちは、いつ何どきどんな奇問を浴びせられても動じないだけの用心をつねに必要とする。ちょっと親しくなるが早いか、すぐこうだ。
『日本の家はいまでも紙で出来ていますか。』
『梯子《はしご》段も紙製ですか。いつも不思議に思うんですけれど、どうして紙の階段で昇ったり
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