て、私たちの自動車もたちまち彼らに包囲された。口々に囀《さえず》るような一本調子である。
『奥さま!』と私よりも一せいに彼女をくどきにかかる。『この児《こ》に一|片《ペンス》やっとくんなさいな。ほら! こんな可愛い児! 運がよくなりますよ! 賭けた馬が勝ちますよ! ねえ奥さま、この児に一|片《ペンス》――。』
 れんめんとして尽きない哀音だ。知らん顔をしていてやるんだが、あんまり「可愛い児」だというからつい見る気になると、私たちの鼻さきに、握拳《にぎりごし》大の、それでいて妙に年寄りじみた赤ぐろい顔が、一|打《ダース》ほどずらり[#「ずらり」に傍点]と突きつけられていた。ジプシイ――悪いことはすべて[#「すべて」に傍点]彼らの所為となっていて、またじっさいそうかも知れないが、毒々しい色布と人ずれとに身を固め、職業的勇敢さをもってどこにでも出現し、どこまでも肉迫してくる乞食民族の旅行隊――かれらの皺《しわ》の一つにも諸大陸の味がこまかく刻み込まれている。のはいいが、赤んぼのないやつは、小さな鏡のかけらみたいなものを持ってきて、あなたの未来を見ましょう! 競馬の運をみて上げましょう! なんかと、こっちが怒るまでうるさくつきまとう。うっかりしていると、そこらにある物を何でも持ってゆくんだから、ナオミ・グラハム夫人は専心この一群の追払い方を引受けた末、とうとう彼らと大喧嘩におちいり、汗をかいた。
 それはそれとして、さて馬だが――。
 このエプソム競馬の特徴は、コウスが半円をなしていることで、競馬線は出発点からゆるく彎曲《カアヴ》してタテナム角《コウナ》をまがり、大観覧席の前面で決勝する。つまり楕円的な三角形をつくっている。だから、タテナム・コウナアは馬と騎手にとって運命的な急廻転地で、ほとんどここの扱い一つで勝負がきまるといわれるくらいだ。漫然とダアビイと称するものの、ほんとのいわゆるダアビイ日《デイ》はエプソムの二日目で、しかもダアビイ競馬というのは、この日の全六回のうち第三回、午後三時に行われるたった一回の謂《いわれ》にすぎない。今年はダアビイの百四十五年めにあたり、近年になく盛大だった。ダアビイの距離は一|哩《マイル》半、三歳馬、二十三頭出場。翌日は婦人日で牝馬だけ走るんだが、ダアビイは混合だ。
 ところで、番組を白眼《にら》んで賭け馬の選択にかかろう――と言ったっ
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