oばな、真下の野を流れる帯のような数条の川をへだてて、秘都|莫斯科《モスコウ》は日光のなかに白っぽくけむっている。色彩的なクレムリンの塔と物見台、二千何百の教会――ナポレオンが踏んだであろう同じ土をふんでいる私に、いつしか過去の夢が取り憑《つ》いていた。私は聞く、寺々の警鐘を。私は見る、合図ののろし[#「のろし」に傍点]と家を飛び出てクレムリンへ逃げこむ蟻《あり》のような十二世紀の市民のむれを。このいいお天気に、またしても韃靼《だったん》人の襲来だ! イワンは石投げの支度にかかり、ナタアシャは小猫を抱いて泣いている。外壁に立って呶号《どごう》する町の英雄、こわごわ露台《バルコニー》から覗いている王女の姿が一つぽっちり[#「ぽっちり」に傍点]と見える――時間こそは何という淋しい魔術であろう。草の葉が風に鳴って、モスコウ行きの自動車が砂をまいて通りすぎた。
しずかな部落だ。ツルゲネフに出て来そうな道ばたの家で、茹《ゆ》で玉子を食べる。村の人が四、五人、喫煙と「主義の討論」にふけっていた。
帰途、電車賃の金をよく見ていると、一発見!――哥《カペイカ》の銀貨にきざんである。「全世界の無産者
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