ーる。そればかり繰り返していた。かと思うと、トキョウ・ブウルジョワとつづけて顔をしかめ、ラシヤ・プロレテリヤと言ってにこにこ[#「にこにこ」に傍点]するのもある。莫斯科《モスコウ》まで同車したのは二十一、二の若い共産党員だった。オムスクの会議に列席した帰りだという。明けても暮れても新聞ばかり読んでいた。トロツキイの失脚なんかについていろいろ話してくれたようだが、何しろ手まね足真似ばかりなのでよくわからない。しゃべっているうちに自分で昂奮して赤くなるほどの美少年だった。彼女の買った白樺の小箱のうらへ露語で何か書いてくれる。モスコウのアドレスも貰ったが、とうとう訪問する機会がなかった。
 食堂にはオムレツのほか空気がある。停車駅で老婆や娘の売っている鶏は油がわるくてむっ[#「むっ」に傍点]とする。単調とあんにゅいの一週間を救うには、車外に進展する沿道の風物以外何ものもないのだ。
 哈爾賓《ハルビン》を夜出た明け方、さわやかな朝日を浴びて悠歩する駱駝とブリヤアト人の小屋を見た。博克図《はくこくず》から有名な興安嶺《こうあんれい》にかかり、土と植物が漸時系統を異にしつつあるのを感じる。それから
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