熄、業街も電柱も石ころも、それらの発散する捨鉢《すてばち》な幻怪味と蟲惑《こわく》も、音楽も服装も食物も、みんな落日《おちび》を浴びて長い影を引いている。言わば、小さな暴君に飽《あ》かれて顧みられない玩具。Or ――発狂した悪魔詩人が、きまって毎夜の夢にさまよう家並《やな》み、それがこのハルビンである。
ホテルの三階の部屋から私は下の往来を見おろしていた。女学生らしい赤い帽子の露西亜《ロシア》少女が、青い林檎《りんご》をかじりながら手を上げて、泥だらけの乗合自動車を停める。兵卒みたいな腕力家の車掌が荷物のように彼女を摘《つま》みあげて行った。蒙古人の皮鞋匠《ひあいしょう》が石だたみに道具を並べて、眼のまえの通行人の足をぼんやり眺めている。靴直しだ。支那人が鶏を抱いてくる。盗んできたものに相違ない。かれは、三歩ごとにうしろを振り返っては急いでいるから。
向側は露西亜人の食料品店とみえて、ほこりにまみれた缶詰と青物がほんのすこしばかり飾窓《ショーウインドー》に散らばって、家の横に貼った黄色い紙が、あやうく飛びそうに土けむりにはた[#「はた」に傍点]めいている。阿弥陀仏、念々不忘、福徳無
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