それから以後になって五カ条の日韓条約が成立し、なお続いて七カ条の条約が締結されました。これを機会に私は故国《くに》を出て、この露領の各村落を遊説して来たのであります。
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聴衆の大部分は聞いていない。あちこちにグルウプを作って、世間話をしたり、ささやき合ったりしている。一隅で欠伸《あくび》する者がある。
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安重根 そうすると、韓国の前途について、どういう風にしなければならないか。私の考えを申しますれば、千八百九十五年の日露開戦に際して、日本皇帝陛下の宣戦の詔勅《しょうちょく》によれば、東洋の平和を維持し、かつ韓国の独立を鞏固《きょうこ》ならしむるという御趣旨であったから、その当時韓国人は非常に感激いたしまして、とにかく日本人のつもりで日露戦争に働いた人も尠からざることで、日露の媾和が成立して日本軍が凱旋《がいせん》することになりました時のごときは、韓国人は自国の凱旋のごとくに喜んで、いよいよこれから韓国の独立が鞏固になると言っておりましたところが、その後伊藤公爵が韓国の統監として赴任して以来、前に申しまし
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