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禹徳淳 (続いて)写真を撮《うつ》しておけばよかったなあ、君と僕と――。
安重根 写真なんか、まだ撮せるよ、明日蔡家溝ででも。
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金成白が駈け上って来て、上り口で衝突しそうになる。
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金成白 (安重根へ)先生、いよいよ――。
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安重根は無言で、力強く金成白と握手する。「三夾河行き」、「いや、蔡家溝で下車」、「三人で停車場まで走るんだ」など安重根、禹徳淳、劉東夏の三人、口ぐちに大声に言いながら勢いよく屋根を降りて行く。柳麗玉も勇躍して、見送りに走り下りる。曹道先と金成白は手摺りに駈け寄って下を覗く。
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       12[#「12」は縦中横]

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翌二十四日、深夜。蔡家溝駅前、チチハル・ホテル。

木賃宿の如きホテルの階上の一室。灰色の壁、低い天井、裸かの床《ゆか》、正面に廊下に通ずる扉《ドア》、ドアの傍に椅子一つ。窓はなし。片隅に毀れかかった鉄製の寝台が二つあるのみ、他に家具はない。

安重根、禹徳淳、劉東夏、蔡家溝駅長オグネフ、同駅駐在中隊長オルダコフ大尉、同隊付セミン軍曹、チチハル・ホテル主人ヤアフネンコ、支那人ボウイ、兵卒、ロシア人の売春婦三人、相手の男達。

隅に二つ並んだ寝台に、安重根と禹徳淳が寝ている。禹徳淳は鼾《いびき》を立てて熟睡し、安重根はしきりに寝返りを打つ。寝台の裾に二人の衣類が脱ぎ懸けられ、安重根のベッドの下には、ウラジオから持って来た行李が押し込んである。扉《ドア》の傍の椅子に、大きな外套を着て劉東夏が居眠りしている。薄暗い電燈。廊下の時計が二時を打つ。長い間。ドアが細目にあいて、ロシア人の女が覗き込む。劉東夏の眠っているのを見すまし、そっと手を伸ばして鼻を摘もうとする。劉東夏は口の中で何か呟いて払う。
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女 (低く笑って)門番さん! ちょいと門番さんてば! 何だってそんなところに頑張ってんのさ。寒いわ。わたしんとこへ来ない? はいってもいい?
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劉東夏は眼を覚ます。
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女 (小声に)まあ、あんた子供じゃ
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