能に本く、彼等の行爲も亦是の如しとせば、畢竟其の道徳的價値に於て缺くる所ありと斷ぜざるべからず。
 是の如く觀來れば、吾人は道徳其物の價値の、甚だ貧少なることを思はざるを得ず。良しや道徳上善事に非ずと判斷せられたりとするも、楠公の行爲に何の影響するところぞ。倫理學説が其の價値を認めずとするも、忠臣義士は長へに忠臣義士たり、孝子烈婦は長へに孝子烈婦たり、人間の最も美《うる》はしく貴むべき現象たることに於ては毫も渝るところ無き也。是れに由りて之を見れば、善と云ひ不善と云ふもの、畢竟人間知見上の名目に過ぎずして、人生本來の價値としては殆ど言ふに足らざるものに非ざる乎、否乎。
 一度び是の見地に據りて觀ずれば、人生の事相《じさう》おのづから別種の面目を呈露し來るを見る。是れ吾人の人生觀が道學先生のそれと異なる所以にして、亦茲に美的生活を論じて敢て是を推奬する所以也。讀者暫く忍んで吾人の言ふ所に聽かむ乎。

     三 人性の至樂

 何の目的ありて是の世に産出せられたるかは、吾人の知る所に非ず。然れども生れたる後の吾人の目的は、言ふまでもなく幸福なるにあり。幸福とは何ぞや、吾人の信ずる所を以
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