君國親夫と謂ふが如き具體的觀念の外に、忠義孝貞と謂ふが如き抽象的道義を認めて、是を奉體せりと見るべき乎。若し是の如く解釋する能はずとせば、忠義と云ひ、孝貞と云ふもの、道徳上の價値に於て言ふに足らざるものならむのみ。
而して吾人は是の如く解釋するを欲せざるもの也。楠公の湊川に討死せる時、何ぞ至善の觀念あらむ、何ぞ其の心事に目的と手段との別あらむ、唯※[#二の字点、1−2−22]君王一旦の知遇に感激して、微臣百年の身命を抛《なげう》ちしのみ。是の如くにして死せるは、楠公にとりて至高の滿足なりし也。而して是の滿足を語り得むものは、倫理學説に非ずして楠公自らの心事ならむのみ。菅公の配居に御衣を拜せし時、何ぞ至善の觀念あらむ、何ぞ君恩を感謝するを以て臣下の義務なりと思はむや。畢竟菅公の本心は、唯※[#二の字点、1−2−22]是の如くにして滿足せられ得べかりしのみ。拘々たる理義、如何ぞ菅公が是の本心を説明し得べき。戰國の武士は吾人に幾多の美譚を遺《のこ》したり。然れども或は勇士意氣に感じては輙《すなは》ち身を以て相《あひ》許《ゆ》るし、或は受くる所は※[#非0213外字:「厂+菫」、ただし「菫」
前へ
次へ
全18ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高山 樗牛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング