つむ》がざれども、尚ほ好く舞ひ好く歌ふに非ずや。
道徳と知識とは人類の特有に係ると雖も、畢竟吾人が本能の滿足に對して必須の方便たるに過ぎざること、既に説けるが如し。然れども是の如き煩瑣なる方便を待つて初めて得らるべき幸福は、吾人にとりて甚だ高價なるものに非ずや。人の虚榮を好むや、禽獸の卑しむべきを知りて、其の羨むべきを悟らず、漫りに道義を衒ひ知識を誇るも、人生の歸趣に至りては茫然として思ふところなし。五十年の短き生涯は、是の如くにして※[#「つつみがまえ+夕」、第3水準1−14−76]忙の間に勞し去らるゝを見ては、吾人豈惆悵たらざるを得むや。蓋し今の世にありて人生本來の幸福を求めむには、吾人の道徳と知識とは餘りに煩瑣にして又餘りに迂遠なるに過ぐ。夫《か》の道學先生の如き、若し眞に世道人心の爲に計らむと欲せば、須らく率先して今日の態度を一變せざるべからず。
嗚呼、憫むべきは餓えたる人に非ずして、麺包の外に糧なき人のみ。人性本然の要求の滿足せられたるところ、其處には、乞食の生活にも帝王の羨むべき樂地ありて存する也。悲むべきは貧しき人に非ずして、富貴の外に價値を解せざる人のみ。吾人は戀愛を解せずして死する人の生命《いのち》に、多くの價値あるを信ずる能はざる也。傷《いた》むべきは、生命を思はずして糧を思ひ、身體を憂へずして衣を憂ふる人のみ。彼は生れて其の爲すべきことを知らざる也。今や世事日に※[#「つつみがまえ+夕」、第3水準1−14−76]劇を加へて人は沈思に遑なし、然れども貧しき者よ、憂ふる勿れ。望みを失へるものよ、悲む勿れ。王國は常に爾の胸に在り、而して爾をして是の福音を解せしむるものは、美的生活是れ也。
[#地から2字上げ](明治三十四年八月)
底本:「日本現代文學全集8 齋藤緑雨・石橋忍月・高山樗牛・内田魯庵集」講談社
1967(昭和42)年11月19日初版発行
1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷発行
入力:三州生桑
校正:志田火路司、小林繁雄
2002年10月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全9ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高山 樗牛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング