墓に來て見れば、墓とは名のみ、小高く盛《も》りし土饅頭《どまんぢゆう》の上に一片の卒塔婆を立てしのみ。里人の手向けしにや、半《なかば》枯《か》れし野菊《のぎく》の花の仆れあるも哀れなり。四邊《あたり》は斷草離離として趾《あと》を着くべき道ありとも覺えず、荒れすさぶ夜々の嵐に、ある程の木々の葉吹き落とされて、山は面痩《おもや》せ、森は骨立《ほねだ》ちて目もあてられぬ悲慘の風景、聞きしに増りて哀れなり。ああ是れぞ横笛が最後の住家《すみか》よと思へば、流石《さすが》の瀧口入道も法衣《ほふえ》の袖を絞《しぼ》りあへず、世にありし時は花の如き艷《あで》やかなる乙女《をとめ》なりしが、一旦無常の嵐に誘《さそ》はれては、いづれ遁《のが》れぬ古墳の一墓の主《あるじ》かや。そが初めの内こそ憐れと思ひて香花《かうげ》を手向《たむ》くる人もあれ、やがて星移り歳經《としふ》れば、冷え行く人の情《なさけ》に隨《つ》れて顧みる人もなく、あはれ何れをそれと知る由もなく荒れ果てなんず、思へば果敢《はか》なの吾れ人が運命や。都大路《みやこおほぢ》に世の榮華を嘗《な》め盡《つく》すも、賤《しづ》が伏屋《ふせや》に畦《あぜ》の落穗《おちぼ》を拾《ひろ》ふも、暮らすは同じ五十年の夢の朝夕。妻子珍寶及王位《さいしちんぱうおよびわうゐ》、命終《いのちをは》る時に隨ふものはなく、野邊《のべ》より那方《あなた》の友とては、結脈《けちみやく》一つに珠數《じゆず》一聯のみ。之を想へば世に悲しむべきものもなし。
 瀧口|衣《ころも》の袖を打はらひ、墓に向つて合掌《がつしやう》して言へらく、『形骸《かたち》は良《よ》しや冷土の中に埋《うづも》れても、魂は定かに六尺の上に聞こしめされん。そもや御身と我れ、時を同うして此世に生れしは過世《すぐせ》何の因《いん》、何の果《くわ》ありてぞ。同じ哀れを身に擔《にな》うて、そを語らふ折もなく、世を隔て樣を異にして此の悲しむべき對面あらんとは、そも又何の業《ごふ》、何の報ありてぞ。我は世に救ひを得て、御身は憂《う》きに心を傷《やぶ》りぬ。思へば三界の火宅《くわたく》を逃《のが》れて、聞くも嬉しき眞《まこと》の道に入りし御身の、欣求淨土《ごんぐじやうど》の一念に浮世の絆《きづな》を解《と》き得ざりしこそ恨みなれ。戀とは言はず、情とも謂はず、遇《あ》ふや柳因《りういん》、別《わか》るゝや絮果《ぢよくわ》、いづれ迷は同じ流轉《るてん》の世事《せじ》、今は言ふべきことありとも覺えず。只々此上は夜毎《よごと》の松風《まつかぜ》に御魂《みたま》を澄《すま》されて、未來《みらい》の解脱《げだつ》こそ肝要《かんえう》なれ。仰ぎ願くは三世十方の諸佛、愛護《あいご》の御手《おんて》を垂れて出離《しゆつり》の道を得せしめ給へ。過去精麗《くわこしやうりやう》、出離生死《しゆつりしやうじ》、證大菩提《しようだいぼだい》』。生《い》ける人に向へるが如く言ひ了りて、暫し默念の眼を閉ぢぬ。花の本《もと》の半日の客《かく》、月の前の一夜の友も、名殘は惜しまるゝ習ひなるに、一向所感の身なれば、先の世の法縁も淺からず思はれ、流石《さすが》の瀧口、限《かぎ》りなき感慨|胸《むね》に溢《あふ》れて、轉々《うたゝ》今昔《こんじやく》の情《じやう》に堪へず。今かゝる哀れを見んことは、神ならぬ身の知る由もなく、嵯峨の奧に夜半《よは》かけて迷ひ來りし時は我れ情なくも門《かど》をば開《あ》けざりき。恥をも名をも思ふ遑《いとま》なく、樣を變へ身を殺す迄の哀れの深さを思へば、我れこそ中々に罪深かりけれ。あゝ横笛、花の如き姿|今《いま》いづこにある、菩提樹《ぼだいじゆ》の蔭《かげ》、明星《みやうじやう》額《ひたひ》を照《て》らす邊《ほとり》、耆闍窟《ぎしやくつ》の中《うち》、香烟《かうえん》肘《ひぢ》を繞《めぐ》るの前、昔の夢を空《あだ》と見て、猶ほ我ありしことを思へるや否。逢ひ見しとにはあらなくに、別れ路《ぢ》つらく覺ゆることの、我れながらb《いぶか》しさよ。思ひ胸に迫りて、吁々《あゝ》と吐《は》く太息《といき》に覺えず我れに還《かへ》りて首《かうべ》を擧《あ》ぐれば日は半《なかば》西山《せいざん》に入りて、峰の松影色黒み、落葉《おちば》を誘《さそ》ふ谷の嵐、夕ぐれ寒く身に浸《し》みて、ばら/\と顏打つものは露か時雨《しぐれ》か。

   第二十四

 其の年の秋の暮つかた、小松の内大臣重盛、豫《かね》ての所勞《しよらう》重《おも》らせ給ひ、御年四十三にて薨去あり。一門の人々、思顧の侍《さむらひ》は言ふも更なり、都も鄙もおしなべて、悼《いた》み惜《を》しまざるはなく、町家は商を休み、農夫は業を廢して哀號《あいがう》の聲《こゑ》到る處に充《み》ちぬ。入道相國《にふだうしやうこく》が非道《ひだう》の擧動《ふるまひ》に御恨《おんうら》みを含みて時の亂《みだれ》を願はせ給ふ法住寺殿《ほふぢゆうじでん》の院《ゐん》と、三代の無念を呑みて只《ひた》すら時運の熟すを待てる源氏の殘黨のみ、内府《ないふ》が遠逝《ゑんせい》を喜べりとぞ聞えし。
 士は己れを知れる者の爲に死せんことを願ふとかや。今こそ法體《ほつたい》なれ、ありし昔の瀧口が此君《このきみ》の御爲《おんため》ならばと誓ひしは天《あめ》が下に小松殿|只《たゞ》一人。父祖《ふそ》十代の御恩《ごおん》を集めて此君一人に報《かへ》し參らせばやと、風の旦《あした》、雪の夕《ゆふべ》、蛭卷《ひるまき》のつかの間《ま》も忘るゝ隙《ひま》もなかりしが、思ひもかけぬ世の波風《なみかぜ》に、身は嵯峨の奧に吹き寄せられて、二十年來の志《こゝろざし》も皆|空事《そらごと》となりにける。世に望みなき身ながらも、我れから好める斯かる身の上の君の思召《おぼしめし》の如何あらんと、折々《をり/\》思ひ出だされては流石《さすが》に心苦《こゝろぐる》しく、只々長き將來《ゆくすゑ》に覺束《おぼつか》なき機會《きくわい》を頼みしのみ。小松殿|逝去《せいきよ》と聞きては、それも協《かな》はず、御名殘《おんなごり》今更《いまさら》に惜《を》しまれて、其日は一日|坊《ばう》に閉籠《とぢこも》りて、内府が平生など思ひ出で、※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11、76−2]向三昧《ゑかうざんまい》に餘念なく、夜に入りては讀經の聲いと蕭《しめ》やかなりし。
 先には横笛、深草の里に哀れをとゞめ、今は小松殿、盛年の御身に世をかへ給ふ。彼を思ひ是を思ふに、身一つに降《ふ》りかゝる憂《う》き事の露しげき今日《けふ》此ごろ、瀧口三|衣《え》の袖を絞りかね、法體《ほつたい》の今更《いまさら》遣瀬《やるせ》なきぞいぢらしき。實《げ》にや縁に從つて一念|頓《とみ》に事理《じり》を悟れども、曠劫《くわうごふ》の習氣《しふき》は一朝一夕に淨《きよ》むるに由なし。變相殊體《へんさうしゆたい》に身を苦しめて、有無流轉《うむるてん》と觀《くわん》じても、猶ほ此世の悲哀に離《はな》れ得ざるぞ是非もなき。
 徳を以て、將《はた》人を以て、柱とも石とも頼まれし小松殿、世を去り給ひしより、誰れ言ひ合はさねども、心ある者の心にかゝるは、同じく平家の行末なり。四方《よも》の波風靜《なみかぜしづか》にして、世は盛《さか》りとこそは見ゆれども、入道相國が多年の非道によりて、天下の望み已《すで》に離れ、敗亡の機はや熟してぞ見えし。今にも蛭《ひる》が小島《こじま》の頼朝にても、筑波《つくば》おろしに旗揚《はたあ》げんには、源氏譜代の恩顧の士は言はずもあれ、苟《いやしく》も志を當代に得ず、怨みを平家《へいけ》に銜《ふく》める者、響の如く應じて關八州は日ならず平家の有《もの》に非ざらん。萬一斯かる事あらんには、大納言殿(宗盛)は兄の内府にも似ず、暗弱《あんじやく》の性質《うまれつき》なれば、素《もと》より物の用に立つべくもあらず。御子|三位《さんみ》の中將殿(維盛)は歌道《かだう》より外に何長《なにちやう》じたる事なき御身なれば、紫宸殿《ししいでん》の階下に源家《げんけ》の嫡流《ちやくりう》と相挑《あひいど》みし父の卿《きやう》の勇膽ありとしも覺えず。頭《とう》の中將殿(重衡)も管絃《くわんげん》の奏《しらべ》こそ巧《たく》みなれ、千軍萬馬の間に立ちて采配《さいはい》とらん器《うつは》に非ず。只々數多き公卿《くげ》殿上人《てんじやうびと》の中にて、知盛《とももり》、教經《のりつね》の二人こそ天晴《あつぱれ》未來事《みらいこと》ある時の大將軍と覺ゆれども、これとても螺鈿《らでん》の細太刀《ほそだち》に風雅《ふうが》を誇る六波羅上下の武士を如何にするを得べき。中には越中次郎兵衞盛次《ゑつちゆうのじらうびやうゑもりつぐ》、上總五郎兵衞忠光、惡七兵衞景清《あくしちびやうゑかげきよ》なんど、名だたる剛者《がうのもの》なきにあらねど、言はば之れ匹夫《ひつぷ》の勇《ゆう》にして、大勢《たいせい》に於て元《もと》より益《えき》する所なし。思へば風前《ふうぜん》の燈《ともしび》に似たる平家の運命かな。一門|上下《しやうか》花《はな》に醉《ゑ》ひ、月に興《きやう》じ、明日《あす》にも覺《さ》めなんず榮華の夢に、萬代《よろづよ》かけて行末祝ふ、武運の程ぞ淺ましや。
 入道ならぬ元の瀧口は平家の武士。忍辱《にんにく》の衣も主家興亡の夢に襲《おそ》はれては、今にも掃魔《さうま》の堅甲《けんかふ》となりかねまじき風情《ふぜい》なり。

   第二十五

 其年も事なく暮れて、明《あ》くれば治承四年、淨海《じようかい》が暴虐《ばうぎやく》は猶ほ已《や》まず、殿《でん》とは名のみ、蜘手《くもで》結びこめぬばかりの鳥羽殿《とばでん》には、去年《こぞ》より法皇を押籠《おしこ》め奉るさへあるに、明君《めいくん》の聞え高き主上《しゆじやう》をば、何の恙《つゝが》もお在《は》さぬに、是非なくおろし參らせ、清盛の女が腹に生れし春宮《とうぐう》の今年《ことし》僅に三歳なるに御位を讓らせ給ふ。あはれ聞きも及ばぬ奇怪の讓位かなとおもはぬ人ぞなかりける。一秋毎《ひとあきごと》に細りゆく民の竈《かまど》に立つ烟、それさへ恨みと共に高くは上《のぼ》らず。野邊《のべ》の草木《くさき》にのみ春は歸れども、世はおしなべて秋の暮、枯枝《かれえだ》のみぞ多かりける。元より民の疾苦《しつく》を顧みるの入道ならねば、野に立てる怨聲を何處《いづこ》の風とも氣にかけず、或は嚴島行幸に一門の榮華を傾け盡し、或は新都の經營に近畿《きんき》の人心を騷がせて少しも意に介せず。世を恨み義に勇みし源三位《げんざんみ》、數もなき白旗|殊勝《しゆしよう》にも宇治川の朝風《あさかぜ》に飜へせしが、脆《もろ》くも破れて空しく一族の血汐《ちしほ》を平等院《びやうどうゐん》の夏草《なつくさ》に染めたりしは、諸國源氏が旗揚《はたあげ》の先陣ならんとは、平家の人々いかで知るべき。高倉《たかくら》の宮《みや》の宣旨《せんじ》、木曾《きそ》の北《きた》、關《せき》の東《ひがし》に普ねく渡りて、源氏|興復《こうふく》の氣運漸く迫れる頃、入道は上下萬民の望みに背《そむ》き、愈々都を攝津の福原に遷《うつ》し、天下の亂れ、國土の騷ぎを露《つゆ》顧みざるは、抑々《そも/\》之れ滅亡を速むるの天意か。平家の末はいよ/\遠からじと見えにけり。
 右兵衞佐《うひやうゑのすけ》(頼朝)が旗揚《はたあげ》に、草木と共に靡きし關八州《くわんはつしう》、心ある者は今更とも思はぬに、大場《おほば》の三郎が早馬《はやうま》ききて、夢かと驚きし平家の殿原《とのばら》こそ不覺《ふかく》なれ。討手《うつて》の大將、三位中將|維盛卿《これもりきやう》、赤地《あかぢ》の錦の直垂《ひたゝれ》に萌黄匂《もえぎにほひ》の鎧は天晴《あつぱれ》平門公子《へいもんこうし》の容儀《ようぎ》に風雅の銘を打つたれども、富士河の水鳥《みづとり》に立つ足もなき十萬騎は、關東武士の笑ひのみにあらず。前の非《ひ》を悟りて舊都に歸り、さては奈良|炎上《えんじやう》の無道《むだう》に餘忿《よ
前へ 次へ
全14ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高山 樗牛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング