の涙さながら雨の如し。
 外には鳥の聲うら悲しく、枯れもせぬに散る青葉二つ三つ、無情の嵐に搖落《ゆりおと》されて窓打つ音さへ恨めしげなる。――あはれ、世は汝のみの浮世かは。

   第十一

 一門の采邑、六十餘州の半《なかば》を越え、公卿・殿上人三十餘人、諸司衞府を合せて門下郎黨の大官榮職を恣《ほしいまゝ》にするもの其の數を知らず、げに平家の世は今を盛りとぞ見えにける。新大納言が隱謀|脆《もろ》くも敗れて、身は西海の隅《はて》に死し、丹波の少將|成經《なりつね》、平判官|康頼《やすより》、法勝寺の執事|俊寛等《しゆんくわんら》、徒黨の面々、波路《なみぢ》遙かに名も恐ろしき鬼界が島に流されしより、世は愈々平家の勢ひに麟伏し、道路目を側《そばだ》つれども背後に指《ゆびさ》す人だになし。一國の生殺與奪の權は、入道が眉目の間に在りて、衞府判官は其の爪牙たるに過ぎず。苟も身一門の末葉に連《つらな》れば、公卿華胄の公達《きんだち》も敢えて肩を竝ぶる者なく、前代未聞《ぜんだいみもん》の榮華は、天下の耳目を驚かせり。されば日に増し募る入道が無道の行爲《ふるまひ》、一朝の怒に其の身を忘れ、小松内府の諫《いさめ》をも用ひず、恐れ多くも後白河法皇を鳥羽《とば》の北殿に押籠め奉り、卿相雲客の或は累代の官職を褫《はが》れ、或は遠島に流人《るにん》となるもの四十餘人。鄙《ひな》も都も怨嗟の聲に充《み》ち、天下の望み既に離れて、衰亡の兆漸く現はれんとすれども、今日《けふ》の歡《よろこ》びに明日《あす》の哀れを想ふ人もなし。盛者必衰の理《ことわり》とは謂ひながら、權門の末路、中々に言葉にも盡《つく》されね。父入道が非道の擧動《ふるまひ》は一次再三の苦諫にも及ばれず、君父の間に立ちて忠孝二道に一身の兩全を期し難く、驕る平家の行末を浮べる雲と頼みなく、思ひ積りて熟々《つら/\》世の無常を感じたる小松の内大臣《ないふ》重盛卿、先頃《さきごろ》思ふ旨ありて、熊野參籠の事ありしが、歸洛の後は一室に閉籠りて、猥りに人に面《おもて》を合はせ給はず、外には所勞と披露ありて出仕《しゆつし》もなし。然《さ》れば平生徳に懷《なつ》き恩に浴せる者は言ふも更なり、知るも知らぬも潛かに憂ひ傷《いた》まざるはなかりけり。

            *        *
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 短き秋の日影もやゝ西に傾きて、風の音さへ澄み渡るはづき半《なかば》の夕暮の空、前には閑庭を控へて左右は廻廊[#「廻」は底本のまま]を繞《めぐ》らし、青海の簾《みす》長く垂れこめて、微月の銀鈎空しく懸れる一室は、小松殿が居間《ゐま》なり。内には寂然として人なきが如く、只々簾を漏れて心細くも立迷ふ香煙一縷、をりをりかすかに聞ゆる戞々の音は、念珠を爪繰《つまぐ》る響にや、主が消息を齎らして、いと奧床し。
 やゝありて『誰かある』と呼ぶ聲す、那方《あなた》なる廊下の妻戸《つまど》を開《あ》けて徐ろに出で來りたる立烏帽子に布衣着たる侍は齋藤瀧口なり。『時頼參りて候』と申上ぐれば、やがて一間《ひとま》を出で立ち給ふ小松殿、身には山藍色《やまあゐいろ》の形木《かたぎ》を摺りたる白布の服を纏ひ、手には水晶の珠數を掛け、ありしにも似ず窶れ給ひし御顏に笑《ゑみ》を含み、『珍らしや瀧口、此程より病氣《いたつき》の由にて予が熊野參籠の折より見えざりしが、僅の間に痛く痩せ衰へし其方が顏容《かほかたち》、日頃鬼とも組まんず勇士も身内の敵には勝たれぬよな、病は癒えしか』。瀧口はやゝしばし、詰《きつ》と御顏を見上げ居たりしが、『久しく御前に遠《とほざか》りたれば、餘りの御懷《おんなつかし》しさに病餘の身をも顧みず、先刻|遠侍《とほざむらひ》に伺候致せしが、幸にして御拜顏の折を得て、時頼身にとりて恐悦の至りに候』。言ふと其儘御前に打ち伏し、濡羽《ぬれは》の鬢に小波を打たせて悲愁の樣子、徒《たゞ》ならず見えけり。
 哀れや瀧口、世を捨てん身にも今を限りの名殘には一切の諸縁何れか煩惱ならぬはなし。比世の思ひ出に、夫《それ》とはなしに餘所ながらの告別《いとまごひ》とは神ならぬ身の知り給はぬ小松殿、瀧口が平生の快濶なるに似もやらで、打ち萎れたる容姿を、訝《いぶか》しげに見やり給ふぞ理《ことわり》なる。
 四方山《よもやま》の物語に時移り、入日《いりひ》の影も何時《いつ》しか消えて、冴え渡る空に星影寒く、階下の叢《くさむら》に蟲の鳴く聲露ほしげなり。燭を運び來りし水干に緋の袴着けたる童《わらべ》の後影《うしろかげ》見送りて、小松殿は聲を忍ばせ、『時頼、近う寄れ、得難き折なれば、予が改めて其方《そち》に頼み置く事あり』。

   第十二

 一|穗《すゐ》の燈《ともしび》を狹みて相對《あひたい》せる小松殿と時頼、物語の樣、最《い》と肅《しめ》やかなり。
『こは思ひも寄らぬ御言葉を承はり候ものかな、御世は盛りとこそ思はれつるに、など然《さ》る忌《い》まはしき事を仰せらるゝにや。憚り多き事ながら、殿《との》こそは御一門の柱石《ちゆうせき》、天下萬民の望みの集まる所、吾れ人|諸共《もろとも》に御運《ごうん》の程の久しかれと祈らぬ者はあらざるに、何事にて御在《おは》するぞ、聊かの御不例に忌まはしき御身の後を仰せ置かるゝとは。殊更《ことさら》少將殿の御事、不肖弱年の時頼、如何《いか》でか御託命の重きに堪へ申すべき。御言葉のゆゑよし、時頼つや/\合點《がてん》參らず』。
『時頼、さては其方《そち》が眼にも世は盛りと見えつるよな。盛りに見ゆればこそ、衰へん末の事の一入《ひとしほ》深く思ひ遣《や》らるゝなれ。弓矢の上に天下を與奪《よだつ》するは武門の慣習《ならひ》。遠き故事を引くにも及ばず、近き例《ためし》は源氏の末路《まつろ》。仁平《にんぺい》、久壽《きうじゆ》の盛りの頃には、六條判官殿、如何《いか》でか其の一族の今日《こんにち》あるを思はれんや。治《ち》に居て亂《らん》を忘れざるは長久の道、榮華の中に沒落を思ふも、徒《たゞ》に重盛が杞憂のみにあらじ』。
『然《さ》るにても幾千代重ねん殿が御代《みよ》なるに、など然ることの候はんや』。
『否《いな》とよ時頼、朝《あした》の露よりも猶ほ空《あだ》なる人の身の、何時《いつ》消えんも測り難し。我れ斯くてだに在らんにはと思ふ間《ひま》さへ中々に定かならざるに、いかで年月の後の事を思ひ料《はか》らんや。我もし兎も角もならん跡には、心に懸かるは只々少將が身の上、元來孱弱の性質、加ふるに幼《をさなき》より詩歌《しいか》數寄の道に心を寄せ、管絃舞樂の娯《たの》しみの外には、弓矢の譽あるを知らず。其方も見つらん、去《さん》ぬる春の花見の宴に、一門の面目と稱《たゝ》へられて、舞妓《まひこ》、白拍子《しらびやうし》にも比すべからん己《おの》が優技《わざ》をば、さも誇り顏に見えしは、親の身の中々に恥《はづ》かしかりし。一旦事あらば、妻子の愛、浮世の望みに惹《ひ》かされて、如何なる未練の最期《さいご》を遂ぐるやも測られず。世の盛衰は是非もなし、平家の嫡流として卑怯の擧動《ふるまひ》などあらんには、祖先累代の恥辱この上あるべからず。維盛が行末守り呉れよ、時頼、之ぞ小松が一期《いちご》の頼みなるぞ』。
『そは時頼の分《ぶん》に過ぎたる仰せにて候ぞや。現在|足助《あすけ》二郎重景など屈竟《くつきやう》の人々、少將殿の扈從《こしよう》には候はずや。若年未熟《じやくねんみじゆく》の時頼、人に勝《まさ》りし何の能《のう》ありて斯かる大任を御受け申すべき』。
『否々左にあらず。いかに時頼、六波羅上下の武士が此頃の有樣を何とか見つる。一時の太平に狎《な》れて衣紋裝束《えもんしやうぞく》に外見《みえ》を飾れども、誠《まこと》武士の魂あるもの幾何かあるべき。華奢風流に荒《すさ》める重景が如き、物の用に立つべくもあらず。只々彼が父なる與三左衞門景安は平治の激亂の時、二條堀河の邊りにて、我に代りて惡源太が爲に討たれし者ゆゑ、其の遺功を思うて我名の一字を與へ、少將が扈從《こしよう》となせしのみ。繰言《くりごと》ながら維盛が事頼むは其方一人。少將|事《こと》あるの日、未練の最期を遂ぐるやうのことあらんには、時頼、予は草葉の蔭より其方を恨むぞよ』。
 思ひ入りたる小松殿の御氣色《みけしき》、物の哀れを含めたる、心ありげの語《ことば》の端々《はし/″\》も、餘りの忝なさに思ひ紛れて只々感涙に咽《むせ》ぶのみ。風にあらで小忌《をみ》の衣《ころも》に漣立《さゞなみた》ち、持ち給へる珠數震ひ搖《ゆら》ぎてさら/\と音するに瀧口|首《かうべ》を擡《もた》げて、小松殿の御樣見上ぐれば、燈の光に半面を背《そむ》けて、御袖の唐草《からくさ》に徒《たゞ》ならぬ露を忍ばせ給ふ、御心の程は知らねども、痛はしさは一入《ひとしほ》深し。夜も更《ふ》け行きて、何時《いつ》しか簾《みす》を漏れて青月の光凄く、澄み渡る風に落葉ひゞきて、主が心問ひたげなり。
 蟲の音《ね》亙《わた》りて月高く、いづれも哀れは秋の夕、憂《う》しとても逃《のが》れん術《すべ》なき己《おの》が影を踏みながら、腕叉《うでこまぬ》きて小松殿の門《かど》を立ち出でし瀧口時頼。露にそぼちてか、布衣《ほい》の袖重げに見え、足の運《はこび》さながら醉へるが如し。今更《いまさら》思ひ決《さだ》めし一念を吹きかへす世に秋風はなけれども、積り積りし浮世の義理に迫られ、胸は涙に塞《ふさが》りて、月の光も朧《おぼろ》なり。武士の名殘も今宵《こよひ》を限り、餘所《よそ》ながらの告別とは知り給はで、亡からん後まで頼み置かれし小松殿。御仰《おんおほせ》の忝《かたじけな》さと、是非もなき身の不忠を想ひやれば、御言葉の節々《ふし/″\》は骨を刻《きざ》むより猶つらかりし。哀れ心の灰に冷え果てて浮世に立てん烟もなき今の我、あゝ何事も因果なれや。
 月は照れども心の闇に夢とも現《うつゝ》とも覺えず、行衞もしらず歩み來りしが、ふと頭を擧ぐれば、こはいかに身は何時《いつ》の間にか御所の裏手、中宮の御殿の邊《ほとり》にぞ立てりける。此春より來慣れたる道なればにや、思はぬ方に迷ひ來しものかなと、無情《つれな》かりし人に通ひたる昔忍ばれて、築垣《ついがき》の下《もと》に我知らず彳《たゝず》みける。折柄傍らなる小門の蔭にて『横笛』と言ふ聲するに心付き、思はず振向けば、立烏帽子に狩衣《かりぎぬ》着たる一個の侍《さむらひ》の此方に背を向けたるが、年の頃五十計りなる老女と額を合せて囁《さゝや》けるなり。

   第十三

 月より外に立聞ける人ありとも知らで、件の侍は聲|潛《ひそ》ませて、『いかに冷泉《れいぜい》、折重《をりかさ》ねし薄樣《うすやう》は薄くとも、こめし哀れは此秋よりも深しと覺ゆるに、彼の君の氣色《けしき》は如何なりしぞ。夜毎の月も數へ盡して、圓《まどか》なる影は二度まで見たるに、身の願の滿たん日は何れの頃にや。頼み甲斐なき懸橋《かけはし》よ』。
 怨みの言葉を言はせも敢へず、老女は疎《まば》らなる齒莖《はぐき》を顯はしてホヽと打笑《うちゑ》み、『然《さ》りとは戀する御身にも似合はぬ事を。此の冷泉に如才《じよさい》は露なけれども、まだ都慣れぬ彼の君なれば、御身が事|可愛《いと》しとは思ひながら、返す言葉のはしたなしと思はれんなど思ひ煩うてお在《は》すにこそ、咲かぬ中《うち》こそ莟ならずや』。言ひつゝツと男の傍に立寄りて耳に口よせ、何事か暫し囁《さゝや》きしが、一言毎《ひとことごと》に點頭《うなづ》きて冷《ひやゝ》かに打笑める男の肩を輕く叩きて、『お解《わか》りになりしや、其時こそは此の老婆《ばゞ》にも、秋にはなき梶の葉なれば、渡しの料《しろ》は忘れ給ふな、世にも憎きほど羨ましき二郎ぬしよ』。男は打笑ふ老女の袂を引きて、『そは誠か、時頼めはいよ/\思ひ切りしとか』。
 己れが名を聞きて、松影に潛める瀧口は愈々耳を澄しぬ。老女『此春より引きも切らぬ文の、此の二十日計りはそよとだに音なきは、言はでも著《し》るき、空《あだ》なる戀
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