みて、變り果てし世の様を見る事を忍び得ざりけん、其年七月の末、久しく住みなれし往生院を跡にして、飄然と何處ともなく出で行きぬ。

   第二十八

 昨日は東關の下に轡《くつわ》竝《なら》べし十萬騎、今日は西海の波に漂ふ三千餘人。強きに附く人の情なれば、世に落人の宿る蔭はなく、太宰府《だざいふ》の一夜の夢に昔を忍ぶ遑もあらで、緒方《をがた》に追はれ、松浦に逼られ、九國の山野廣けれども、立ち止《と》まるべき足場もなし。去年《こぞ》は九重《こゝのへ》の雲に見し秋の月を、八重《やへ》の汐路《しほぢ》に打眺《うちなが》めつ、覺束なくも明かし暮らせし壽永二年。水島《みづしま》、室山《むろやま》の二戰に勝利を得しより、勢ひ漸く強く、頼朝、義仲の爭ひの隙《ひま》に山陰、山陽を切り從へ、福原の舊都まで攻上《せめのぼ》りしが、一の谷の一戰に源九郎が爲に脆くも打破られ、須磨の浦曲《うらわ》の潮風に、散り行く櫻の哀れを留めて、落ち行く先は、門司《もじ》、赤間《あかま》の元の海、六十餘州の半を領せし平家の一門、船を繋《つな》ぐべき渚《なぎさ》だになく、波のまに/\行衞も知らぬ梶枕《かぢまくら》、高麗《かうらい》、契丹《きつたん》の雲の端《はて》までもとは思へども、流石《さすが》忍ばれず。今は屋島《やしま》の浦に錨《いかり》を留めて、只《ひた》すら最後の日を待てるぞ哀れなる。

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 壽永三年三月の末、夕暮近《ゆふぐれちか》き頃、紀州《きしゆう》高野山を上《のぼ》り行く二人の旅人《たびびと》ありけり。浮世を忍ぶ旅路《たびぢ》なればにや、一人は深編笠《ふかあみがさ》に面《おもて》を隱して、顏容《かほかたち》知《し》るに由なけれども、其の裝束は世の常ならず、古錦襴《こきんらん》の下衣《したぎ》に、紅梅萌黄《こうばいもえぎ》の浮文《うきあや》に張裏《はりうら》したる狩衣《かりぎぬ》を着け、紫裾濃《むらさきすそご》の袴腰、横幅廣く結ひ下げて、平塵《ひらぢり》の細鞘、優《しとやか》に下げ、摺皮《すりかは》の踏皮《たび》に同じ色の行纏《むかばき》穿ちしは、何れ由緒《ゆゐしよ》ある人の公達《きんだち》と思はれたり。他の一人は年の頃廿六七、前なる人の從者《ずさ》と覺しく、日に燒け色黒みたれども、眉秀いで眼涼しき優男《やさをとこ》、少し色剥げたる厚塗の立烏帽子に卯の花色の布衣を着け、黒塗の野太刀を佩きたり。放慣れぬにや、將《はた》永の徒歩《かち》に疲れしにや、二人とも弱り果てし如く、踏み締むる足に力なく青竹《あをだけ》の杖に身を持たせて、主從相扶け、喘《あへ》ぎ/\上《のぼ》り行く高野《かうや》の山路、早や夕陽も名殘を山の巓に留めて、崖《そば》の陰、森の下、恐ろしき迄に黒みたり。祕密の山に常夜の燈《ともしび》なければ、あなたの木の根、こなたの岩角《いはかど》に膝を打ち足を挫《くじ》きて、仆れんとする身を辛《やうや》く支《さゝ》へ、主從手に手を取り合ひて、顏見合す毎に彌増《いやまさ》る太息の數、春の山風身に染みて、入相《いりあひ》の鐘の音《ね》に梵缶《ぼんふう》の響き幽《かすか》なるも哀れなり。
 十歩に小休、百歩に大憩、辛《からう》じて猶ほ上り行けば、讀經の聲、振鈴の響、漸く繁くなりて、老松古杉の木立《こだち》を漏れて仄《ほのか》に見ゆる諸坊の燈《ともしび》、早や行先も遠からじと勇み勵みて行く程に、間《ま》もなく蓮生門を過ぎて主從|御影堂《みえいだう》の此方《こなた》に立止まりぬ。從者《ずさ》は近き邊《あたり》の院に立寄りて何事か物問ふ樣子なりしが、やがて元の所に立歸り、何やら主人に耳語《さゝや》けば、點頭《うなづ》きて尚も山深く上り行きぬ。
 飛鈷《ひこ》地に落ちて嶮に生《お》ひし古松の蔭、半《なかば》立木を其儘に結びたる一個の庵室、夜|毎《ごと》の嵐に破れ寂びたる板間《いたま》より、漏る燈の影暗く、香烟窓を迷ひ出で、心細き鈴の音、春ながら物さびたり。二人は此の庵室の前に立ち止まりしが、從者《ずさ》はやがて門に立ちよりて、『瀧口入道殿の庵室は茲に非ずや。遙々《はる/″\》訪《たづ》ね來りし主從二人、こゝ開け給へ』と呼ばはれば、内より燈《ともしび》提《さ》げて出來《いできた》りたる一個の僧、『瀧口が庵は此處ながら、浮世の人にはる/″\訪はるゝ覺えはなきに』と言ひつゝ訝しげなる顏色して門を開けば、編笠《あみがさ》脱《ぬ》ぎつゝ、ツと通る件の旅人、僧は一目見るより打驚き、砌《しきいし》にひたと頭を附けて、『これは/\』。

   第二十九

 世移り人失《ひとう》せぬれば、都は今は故郷《ふるさと》ならず、滿目奮山川、眺《なが》むる我も元の身なれども、變り果てし盛衰に、憂き事のみぞ多かる世は、嵯峨の里も樂しからず、高野山に上りて早や三年《みとせ》、山遠く谷深ければ、入りにし跡を訪《と》ふ人とてあらざれば、松風ならで世に友もなき庵室に、夜に入りて訪《おとづ》れし其人を誰れと思ひきや、小松の三位中將維盛卿にて、それに從へるは足助二郎重景ならんとは。夢かとばかり驚きながら、扶《たす》け參らせて一間《ひとま》に招《せう》じ、身は遙《はるか》に席を隔てて拜伏《はいふく》しぬ。思ひ懸けぬ對面に左右《とかう》の言葉もなく、先《さき》だつものは涙なり。瀧口つらつら御容姿《おんありさま》を見上ぐれば、沒落以來、幾《いく》その艱苦を忍び給ひけん、御顏痩せ衰へ、青總の髮|疏《あらゝ》かに、紅玉の膚《はだへ》色消え、平門第一の美男と唱はれし昔の樣子、何《いづ》こにと疑はるゝばかり、年にもあらで老い給ひし御面に、故《こ》内府の俤あるも哀れなり。『こは現《うつゝ》とも覺え候はぬものかな。扨も屋島をば何として遁《のが》れ出でさせ給ひけん。當今|天《あめ》が下は源氏の勢《せい》に充《み》ちぬるに、そも何地《いづち》を指しての御旅路《おんたびぢ》にて候やらん』。維盛卿は涙を拭ひ、『さればとよ、一門沒落の時は我も人竝《ひとなみ》に都を立ち出でて西國に下《くだ》りしが、行くも歸るも水の上、風に漂ふ波枕《なみまくら》に此三年《このみとせ》の春秋は安き夢とてはなかりしぞや。或はよるべなき門司の沖に、磯の千鳥とともに泣き明かし、或は須磨を追はれて明石の浦に昔人《むかしびと》の風雅を羨み、重ね重ねし憂事《うきこと》の數《かず》、堪《た》へ忍ぶ身にも忍び難きは、都に殘せし妻子が事、波の上に起居する身のせん術《すべ》なければ、此の年月は心にもなき疎遠に打過ぎつ。嘸や我を恨み居らんと思へば彌増《いやま》す懷《なつか》しさ。兎《と》ても亡びんうたかたの身にしあれば、息ある内に、最愛《いと》しき者を見もし見られもせんと辛《から》くも思ひ決《さだ》め、重景一人|伴《ともな》ひ、夜に紛《まぎ》れて屋島を逃《のが》れ、數々の憂《う》き目を見て、阿波の結城の浦より名も恐ろしき鳴門《なると》の沖を漕ぎ過ぎて、辛《やうや》く此地までは來つるぞや。憐れと思へ瀧口』。打ち萎《しを》れし御有樣、重景も瀧口も只々袂を絞るばか閧ネり。瀧口、『優《いう》に哀れなる御述懷、覺えず法衣を沾《うるほ》し申しぬ。然《さ》るにても如何なれば都へは行き給はで、此山には上り給ひし』。維盛卿は太息|吐《つ》き給ひ、『然《さ》ればなり、都に直に歸りたき心は山山なれども、熟々《つら/\》思へば、斯かる體《てい》にて關東武士の充てる都の中に入らんは、捕はれに行くも同じこと、先には本三位の卿(重衡)の一の谷にて擒となり、生恥《いきはぢ》を京鎌倉に曝《さら》せしさへあるに、我れ平家の嫡流として名もなき武士の手にかゝらん事、如何にも口惜しく、妻子の愛は燃ゆるばかりに切《せつ》なれども、心に心を爭ひて辛く此山に上りしなり。高野に汝あること風の便《たより》に聞きしゆゑ、汝を頼みて戒を受け、樣《さま》を變へ、其上にて心安く都にも入り、妻子にも遇はばやとこそ思ふなれ』。
 瀧口は首《かうべ》を床《ゆか》に附けしまゝ、暫し泪《なみだ》に咽《むせ》び居たりしが、『都は君が三代の故郷なるに、樣を變へでは御名も唱へられぬ世の變遷こそ是非なけれ。思へば故《こ》内府の思顧の侍、其數を知らざる内に、世を捨てし瀧口の此期《このご》に及びて君の御役に立たん事、生前《しやうぜん》の面目《めんぼく》此上《このうへ》や候べき。故内府の鴻恩に比《くら》べては高野の山も高からず、熊野の海も深からず、いづれ世に用なき此身なれば、よしや一命を召され候とも苦しからず。あゝ斯かる身は枯れても折れても野末《のづゑ》の朽木《くちき》、素《もと》より物の數ならず。只々|金枝玉葉《きんしぎよくえふ》の御身として、定めなき世の波風《なみかぜ》に漂《たゞよ》ひ給ふこと、御痛はしう存じ候』。言ひつゝ涙をはら/\と流せば、維盛卿も、重景も、昔の身の上思ひ出でて、泣くより外に言葉もなし。

   第三十

 二人の賓客を次の室にやすませて、瀧口は孤燈の下《もと》に只々一人|寢《ね》もやらず、つら/\思※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11、93−3]《おもひめぐ》らせば、痛はしきは維盛卿が身の上なり。誰れあらん小松殿の嫡男として、名門の跡を繼ぐべき御身なるに、天が下に此山ならで身を寄せ給ふ處なきまでに零落《おちぶ》れさせ給ひしは、過世《すぐせ》如何なる因縁あればにや。習ひもお在《は》さぬ徒歩《かち》の旅に、知らぬ山川を遙《は》る/″\彷徨《さまよ》ひ給ふさへあるに、玉の襖《ふすま》、錦の床《とこ》に隙《ひま》もる風も厭はれし昔にひき換へて、露にも堪へぬかゝる破屋《あばらや》に一夜の宿を願ひ給ふ御|可憐《いと》しさよ。變りし世は隨意《まゝ》ならで、指《さ》せる都には得も行き給はず、心にもあらぬ落髮を逐《と》げてだに、相見んと焦《こが》れ給ふ妻子の恩愛は如何に深かるべきぞ。御容《おんかたち》さへ窶《やつ》れさせ給ひて、此年月の忍び給ひし憂事《うきこと》も思ひやらる。思ひ出せば治承の春、西八條の花見の宴に、櫻かざして青海波を舞ひ給ひし御姿、今尚ほ昨《きのふ》の如く覺ゆるに、脇《わき》を勤めし重景さへ同じ落人《おちうど》となりて、都ならぬ高野の夜嵐に、昔の哀れを物語らんとは、怪しきまで奇《く》しき縁なれ。あはれ、肩に懸けられし恩賜の御衣に一門の譽を擔ひ、竝《な》み居る人よりは深山木《みやまぎ》の楊梅と稱《たゝ》へられ、枯野の小松と歌はれし其時は、人も我も誰れかは今日《けふ》あるを想ふべき。昔は夢か今は現《うつゝ》か。十年にも足らぬ間に變り果てたる世の樣を見るもの哉。
 果《はて》しなき今昔《こんじやく》の感慨に、瀧口は柱に凭《よ》りしまゝしばし茫然たりしが、不圖《ふと》電《いなづま》の如く胸に感じて、想ひ起したる小松殿の言葉に、顰《ひそ》みし眉動き、沈みたる眼閃《ひら》めき、頽《くづ》せし膝立て直し屹《きつ》と衣《ころも》の襟を掻合《かきあ》はせぬ。思へば思へば、情なき人を恨み侘びて樣を變へんと思ひ決《さだ》めつゝ、餘所《よそ》ながら此世の告別に伺候せし時、世を捨つる我とも知り給はで、頼み置かれし維盛卿の御事、盛りと見えし世に衰へん世の末の事、愚なる我の思ひ料《はか》らん由もなければ少しも心に懸けざりしが、扨は斯からん後の今の事を仰せ置かれしよ。『少將は心弱き者、一朝事あらん時、妻子の愛に惹《ひ》かされて未練の最後に一門の恥を暴《さら》さんも測《はか》られず、時頼、たのむは其方一人』。幾度となく繰返されし御仰《おんおほせ》、六波羅上下の武士より、我れ一人を擇ばれし御心の、我は只々忝なさに前後をも辨《わきま》へざりしが、今の維盛卿の有樣、正に御遺言に適中せり。都を跡に西國へ落ち給ひしさへ口惜《くちを》しきに、屋島の浦に明日《あす》にも亡びん一門の人々を振り捨てて、武士は櫻木、散りての後の名をも惜しみ給はで、妻子の愛にめゝしくも茲まで迷ひ來られし御心根《おんこゝろね》、哀れは深からぬにはあらねども、平家の嫡流として未練の譏《そし》りは末代《
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