し瀧口時頼。世を捨てさせし其人は、可愛《いとし》とは思ひながらも世の關守《せきもり》に隔てられて無情《つれな》しと見せたる己れ横笛ならんとは。餘りの事に左右《とかう》の考も出でず、夢幻《ゆめまぼろし》の思ひして身を小机《こづくゑ》に打ち伏せば、『可惜《あたら》武士《ものゝふ》に世を捨てさせし』と怨むが如く、嘲けるが如き聲、何處《いづこ》よりともなく我が耳にひゞきて、其度毎《そのたびごと》に總身|宛然《さながら》水を浴《あ》びし如く、心も體も凍《こほ》らんばかり、襟を傳ふ涙の雫のみさすが哀れを隱し得ず。
 掻き亂れたる心、辛《やうや》う我に歸りて、熟々《つら/\》思へば、世を捨つるとは輕々しき戲事《ざれごと》に非ず。瀧口殿は六波羅上下に名を知られたる屈指の武士、希望に滿《み》てる春秋長き行末を、二十幾年の男盛《をとこざか》りに截斷《たちき》りて、樂しき此世を外に、身を佛門に歸し給ふ、世にも憐れの事にこそ。數多《あまた》の人に優《まさ》りて、君の御覺《おんおぼえ》殊に愛《めで》たく、一族の譽《ほまれ》を雙の肩に擔《にな》うて、家には其子を杖なる年老いたる親御《おやご》もありと聞く。他目《よ
前へ 次へ
全135ページ中67ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高山 樗牛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング