め、『何事ぞ』と問ひ給えば、茂頼は無念の顏色にて、『愚息《ぐそく》時頼』、と言ひさして涙をはらはらと流せば、重景は傍らより膝を進め、『時頼殿に何事の候ひしぞ』。『遁世《とんせい》致して候』。
是はと驚く維盛・重景、仔細如何にと問ひ寄るを應《こたへ》も得せず、やうやく涙を拭《のご》ひ、『君が山なす久年《きうねん》の御恩に對し、一日の報效をも遂《と》げず、猥りに身を捨つる條、不忠とも不義とも言はん方なき愚息が不所存、茂頼|此期《このご》に及び、君に合はす面目も候はず』。言ひつゝ懷《ふところ》より取り出す一封の書、『言語に絶えたる亂心にも、君が御事忘れずや、不忠を重ぬる業《わざ》とも知らで、殘しありし此の一通、君の御名を染めたれば、捨てんにも處なく、餘儀なく此《こゝ》に』と差上ぐるを、小松殿は取上げて、『こは予に殘せる時頼が陳情《ちんじやう》よな』と言ひつゝ繰りひろげ、つく/″\讀み了りて歎息し給い、『あゝ我れのみの浮世にてはなかりしか。――時頼ほどの武士《ものゝふ》も物の哀れに向はん刃《やいば》なしと見ゆるぞ。左衞門、今は嘆きても及ばぬ事、予に於いて聊か憾みなし。禍福はあざなえる繩の如く
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