藥石如何でか治するを得べき。唯々父禪門の御身こそ痛ましけれ。位《くらゐ》人臣を極め、一門の榮華は何れの國、何れの代《よ》にも例《ためし》なく、齡六十に越え給へば、出離生死《しゆつりしやうじ》の御營《おんいとなみ》、無上菩提の願ひの外、何御不足《なにごふそく》のあれば、煩惱劫苦《ぼんなうごふく》の浮世に非道の權勢を貧り給ふ淺ましさ。如何に少將、此頃の御擧動《おんふるまひ》を何とか見つる、臣として君を押し籠《こ》め奉るさへあるに、下民の苦を顧みず、遷都の企ありと聞く。そもや平安三百年の都を離れて、何《いづ》こに平家の盛《さか》りあらん。父の非道を子として救ひ得ず、民の怨みを眼《ま》のあたり見る重盛が心苦《こゝろぐる》しさ。思ひ遣《や》れ少將』。
 維盛卿も、傍らに侍《じ》せる重景も首《かうべ》を垂れて默然《もくねん》たり。内府は病み疲れたる身を脇息《けふそく》に持たせて、少しく笑を含みて重景を見やり給ひ、『いかに二郎、保元《ほうげん》の弓勢《ゆんぜい》、平治《へいぢ》の太刀風《たちかぜ》、今も草木を靡《なび》かす力ありや。盛りと見ゆる世も何《いづ》れ衰ふる時はあり、末は濁りても涸《か》れぬ
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