《いさめ》をも用ひず、恐れ多くも後白河法皇を鳥羽《とば》の北殿に押籠め奉り、卿相雲客の或は累代の官職を褫《はが》れ、或は遠島に流人《るにん》となるもの四十餘人。鄙《ひな》も都も怨嗟の聲に充《み》ち、天下の望み既に離れて、衰亡の兆漸く現はれんとすれども、今日《けふ》の歡《よろこ》びに明日《あす》の哀れを想ふ人もなし。盛者必衰の理《ことわり》とは謂ひながら、權門の末路、中々に言葉にも盡《つく》されね。父入道が非道の擧動《ふるまひ》は一次再三の苦諫にも及ばれず、君父の間に立ちて忠孝二道に一身の兩全を期し難く、驕る平家の行末を浮べる雲と頼みなく、思ひ積りて熟々《つら/\》世の無常を感じたる小松の内大臣《ないふ》重盛卿、先頃《さきごろ》思ふ旨ありて、熊野參籠の事ありしが、歸洛の後は一室に閉籠りて、猥りに人に面《おもて》を合はせ給はず、外には所勞と披露ありて出仕《しゆつし》もなし。然《さ》れば平生徳に懷《なつ》き恩に浴せる者は言ふも更なり、知るも知らぬも潛かに憂ひ傷《いた》まざるはなかりけり。
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短き秋の日影もや
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