ならんとは、左衞門|如何《いか》でか驚かざるを得べき。夢かとばかり、一度は呆れ、一度は怒り、老の兩眼に溢るゝばかりの涙を浮べ、『やよ悴《せがれ》、今言ひしは慥に齋藤時頼が眞の言葉か、幼少より筋骨《きんこつ》人に勝れて逞しく、膽力さへ座《すわ》りたる其方、行末の出世の程も頼母しく、我が白髮首《しらがくび》の生甲斐《いきがひ》あらん日をば、指折りながら待侘《まちわ》び居たるには引換へて、今と言ふ今、老の眼に思ひも寄らぬ恥辱を見るものかな。奇怪とや言はん、不思議とや言はん。慈悲深き小松殿が、左衞門は善き子を持たれし、と我を見給ふ度毎《たびごと》のお言葉を常々人に誇りし我れ、今更乞食坊主の悴を持ちて、いづこに人に合《あは》する二つの顏ありと思うてか。やよ、時頼、ヨツク聞け、他は言はず、先祖代々よりの齋藤一家が被りし平家の御恩はそも幾何なりと思へるぞ。殊に弱年の其方を那程《あれほど》に目をかけ給ふ小松殿の御恩に對しても、よし如何に堪へ難き理由《わけ》あればとて、斯かる方外の事、言はれ得る義理か。弓矢の上にこそ武士の譽はあれ、兩刀捨てて世を捨てて、悟り顏なる悴を左衞門は持たざるぞ。上氣《じやうき》
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