色|徒《たゞ》ならず。父は暫《しば》し語《ことば》なく俯《うつむ》ける我子の顏を凝視《みつ》め居しが、『時頼、そは正氣《しやうき》の言葉か』。『小子《それがし》が一生の願ひ、神以《しんもつ》て詐《いつわ》りならず』。左衞門は兩手を膝に置き直して聲勵まし、『やよ時頼、言ふまでもなき事なれど、婚姻は一生の大事と言ふこと、其方《そち》知らぬ事はあるまじ。世にも人にも知られたる然《しか》るべき人の娘を嫁子《よめご》にもなし、其方《そち》が出世をも心安うせんと、日頃より心を用ゆる父を其方は何と見つるぞ。よしなき者に心を懸けて、家の譽をも顧みぬほど、無分別の其方《そち》にてはなかりしに、扨は豫《かね》てより人の噂に違はず、横笛とやらの色に迷ひしよな』。『否、小子《それがし》こと色に迷はず、香《か》にも醉はず、神以《しんもつ》て戀でもなく浮氣でもなし、只々少しく心に誓ひし仔細の候へば』。
左衞門は少しく色を起し、『默れ時頼、父の耳目を欺かん其の語《ことば》、先頃其方が儕輩の足助《あすけ》の二郎殿、年若きにも似ず、其方が横笛に想ひを懸け居ること、後の爲ならずと懇《ねんごろ》に潛かに我に告げ呉れしが、
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