れば見れども見えず、聞けども聞えず、命の蔭に蹲踞《うづくま》る一念の戀は、玉の緒ならで斷たん術もなし。
誠や、戀に迷へる者は猶ほ底なき泥中に陷れるが如し。一寸|上《うへ》に浮ばんとするは、一寸|下《した》に沈むなり、一尺|岸《きし》に上《のぼ》らんとするは、一尺|底《そこ》に下《くだ》るなり、所詮自ら掘れる墳墓に埋るゝ運命は、悶え苦みて些の益もなし。されば悟れるとは己れが迷を知ることにして、そを脱《だつ》せるの謂《いひ》にはあらず。哀れ、戀の鴆毒《ちんどく》を渣《かす》も殘さず飮み干《ほ》せる瀧口は、只々坐して致命の時を待つの外なからん。
第八
消えわびん露の命を、何にかけてや繋《つな》ぐらんと思ひきや、四五日|經《へ》て瀧口が顏に憂の色漸く去りて、今までの如く物につけ事に觸れ、思ひ煩ふ樣《さま》も見えず、胸の嵐はしらねども、表面《うはべ》は槇《まき》の梢のさらとも鳴らさず、何者か失意の戀にかへて其心を慰むるものあればならん。
一日《あるひ》、瀧口は父なる左衞門に向ひ、『父上に事改《ことあらた》めて御願ひ致し度き一義あり』。左衞門『何事ぞ』と問へば、『斯かる事、我口より
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